松本清張の『砂の器』を読んで、この小説世界で強く印象に残るのは「ヌーボーグループ」である。
若い音楽家とその仲間たちの姿が生き生きと描かれていて、1961年の若き芸術家たちに対する期待が伝わってくる。
ヌーボーグループというのは、新進の芸術家たちの集まりで、音楽家、文芸評論家、画家、劇作家、評論家、建築家など、ジャンルを越えて若い表現者たちのグループのことである。彼らはじつに闊達で、自由そうで、偉そうで、頼もしくて、新しい。
それが1961年なのだろう。
特徴的なのは、すべて昔からある芸術分野だということだ。つまり明治時代でも通用する芸術である(小説家を入れずに文芸評論家を入れたところに松本清張らしい屈託を見るおもいがするけれど)。サブカルが入っていない。カルチャーはカルチャーで、明治から続く文化分野のことであり、伝統的な分野で新しい表現をしているのが、力強い若者像だったのだ。だから、偉そうで新しい。
「若い表現者たち」のなかに、サブカルチャーが入っていないのが、時代を考えれば当然なのだが、いまから見るとやはり不思議な感じがする。コマーシャリズムが強い世界での表現はまだ「文化」ではなかった。消費物だったのだ。
「ヌーボーグループ」は、また上流階級への出入りも許される、というポジションでもある。天才音楽家は、ときの現職大臣の娘と婚約している。それがとてもステータスの高さを表している。
1961年の若者は、自信に満ちている。それは「ちゃんとした未来が来る」と信じられたからだろう。これから先の世の中は、いまよりも必ずいい時代になるという確信を抱いている。それが1961年のヌーボーグループの強さである。
若者は元気で、そしておそらく腹を減らしていた。
この「若き芸術家たち」の姿が、時代が下がるにつれて、変わっていく。
1974年の映画では加藤剛が、1977年のフジテレビのドラマでは田村正和が、その若き芸術家を演じている。
1974年の映画では「ヌーボーグループ」があまり前に出てこない。原作のその部分は拾わなかった。そのぶん「漂泊する父と子」に焦点を当てている。そしてそれは1974年にはすでに松本清張が描いた「若者たち」の姿が見られなかった、ということだろう。
少なくともスノッブで気取った若者は、1974年には支持されなくなったのだ。それは加山雄三の若大将シリーズとともに消えていったのだ。
1974年はすでに1961年ほど未来に期待できなくなっていたのだ。
2004年の中居正広、2019年の中島健人となると、まったく様相が違ってくる。
カルチャーよりもサブカルチャーのほうが前に出た時代である。
将来を信じた若い芸術家など、若者はあまり想像したことがないだろう。
だから21世紀の「若き芸術家」は孤独である。1961年や1974年と比べると、深く圧倒的に孤独である。