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なぜ? 生存に不利な遺伝子が淘汰されないワケ

「自然選択」は強者の論理ではなかった

先生がキレた思い出

大学生のとき、私はすこし変わった学科にいた。そこの講義には、数学も物理も化学も生物もあった。電子工学のような応用科学の講義さえあった。大学1~2年生のときの教養課程の話ではない。3~4年生のときの専門課程の話である。なんだか的を絞れない散漫な教育のような気もする。

しかし、その学科は、ある目的というか理想というか、そういうものを掲げて第二次世界大戦のあとに創られた新しい学科だった。ただし、残念なことに、今ではなくなってしまったけれど。

そういう学科にいたせいで、学生同士でいろいろな分野の話をすることが多かった。分野を比較する話も多かった。そういう話のなかで、もっとも過激な意見は、生物学者はアホであるというものだった。

その学科の講義室は2つあって、両方とも最上階の4階にあった。ルベーグ積分の講義が終わると、10分間の休憩をはさんで、生理学の講義が始まる。さっきまで何だかわけのわからない記号で埋め尽くされていた黒板に、とつぜんかわいい植木鉢とマンガのような植物が描かれる。先生の話す言葉もまったく変わる。ルベーグ積分の先生も日本語を話していたらしいが、何を言っているのかよくわからなかった。ところが生理学の先生の言っていることは、じつによくわかるのだ。

【写真】生理学の先生の言っていることはじつによくわかった
  ルベーグ積分の講義はよくわからなかったけれど、生理学の先生の言っていることは、じつによくわかった photo by iStock

生物学者がアホであるかどうかはともかく、その学科で行われていた講義のなかで、もっとも多くの学生に理解されていたのが、生物の講義であったことは間違いない。

そういえば量子力学の講義では、50人ぐらい履修しているのに2~3人しか出席しないので、さすがに温和な先生も講義中にキレたという噂を聞いた。まあ、本当かどうかはわからない。私もその講義には出席していなかったから。