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「好きじゃなくなった離婚」を30代で選んだ女性が21年後に思うこと

私はわがままだったのだろうか

「実はそのころ、私たち夫婦は家を新築中でした。すでに上棟式もすませ、後はできあがりを楽しみにしている段階だったのですが、母の急死でそこに住みたいという気持ちが失せてしまったんです。そもそも家を建てるか私の実家の持ちビルに入るか迷ったうえでの選択だったので、事情が変わった以上、もう一度、実家に入ることを検討してほしいと元夫に言ったら、当たり前かもしれませんが大反対されて……」

当時は視野が狭くなっていて、今離婚をしなければ父親の面倒を見られない、と思い込んでしまった。養育費はいらない、夫の事業用に晴子さん個人の貯金から貸していた200万円も返さなくていい、だから離婚してほしい。そう申し出た晴子さんに、元夫は「そこまで言うなら」と、すんなり離婚届に判を押した。

「すごい好きとか大恋愛というのではなかったので、関係が崩れたときに初心に戻れませんでした。今にして思えば、離婚するほどのことだったのかな、と。実家に帰るという選択肢がなければ、別れていなかった。我慢がきかなかったな、と思います」

 

就学前の離婚

娘たちには、とくに「離婚」を伝えなかった。下の娘は幼すぎたし、上の娘は、おじいちゃんちの2階への引っ越しと小学校新入学という大きな環境の変化のほうに心を奪われており、バタバタと暮らすうち、いつしか父親の不在が当たり前になっていた。その意味で、「離婚をするなら小学校入学前のタイミングで」という晴子さんの思惑は成功したのかもしれない。

子どもの就学前に離婚することで、改姓などの問題も生じなかった Photo by iStock

実際、親の離婚で子どもが受けるダメージの大きさは、年齢によって変わると思う。物心つく前の離婚だと、喪失感は少ない。しかしそれは、一緒に暮らす側の親の気持ちが安定していればこそだ。逆に言えば、いくら両親が揃っていても親の気持ちが荒れていれば、それは子どもの不幸のもとになる

娘たちの成長に合わせ、晴子さんは少しずつ実家の商売を引き継いだ。住まいにもお金にも不自由のない女3人の暮らしは気楽で快適で、晴子さんはのびのびと暮らした。それで娘たちも、スクスクと育った。

「受験をするとかしないとか、どの学校を選ぶとか、子育てで重要な決定をするときに私が一人で決めなければいけないのはきつかった。でも、それ以外で、父親がいたらなあと思ったことはありません」

離婚後、娘たちは父親に数回しか会っていない。離婚して2年目くらいまでは誕生日に会っていたが、その後、元夫が再婚したことで交流が途絶えた。

「娘たちもとくに会いたいとは言いませんでしたし、私も会わせる必要を感じませんでした」

「養育費はいらない」と別れた晴子さんだったが、実は離婚後10年ほど経ってから「これは子どもの権利だ」と思い直して請求している。

家庭裁判所に申し立てたところ、晴子さんの主張が認められ、その時点から成人までの数年間、わずかな額ではあるが支払われることになった。その際、元夫から「娘本人に渡したい」と言われたため、娘たちが受け取りに行った。それが、今のところ娘たちが父親に会った最後。すでに10年以上前になる。

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