なぜ「豊岡鞄」のショップは、丸の内の超一等地に進出できたのか

「田舎の地場産業」が世界を目指すまで
上阪 徹 プロフィール

厳しい基準を満たすものだけ

周囲からは「そんなもの、取れるはずがない」「そんなことをやってもしょうがない」など反対の声も少なからず上がった。しかし、若手組合員たちは認定取得のために奔走する。そして見事、豊岡鞄は工業製品の認定第一号を勝ち取った。これがのちのち、大きな意味を持った。

豊岡の鞄にOEMが多かったとはいえ、それ以前からプライベートブランドの開発に踏み出していたメーカーもあった。現在ではベトナム工場750名を含め1000人以上の規模を誇る、豊岡最大の鞄メーカー、(株)由利だ。社長の由利昇三郎氏はこう語る。

「やはり自社ブランドを持ちたい、という気持ちはずっとありました。そこで、『ART PHEARE』というブランドを立ち上げたんです。しかし、デザイン、プライスゾーン、ターゲットなどの情報はOEMの仕事でも培ってきましたが、自社ブランドとなると簡単ではなかった。

売り先から自分たちで探さないといけない。広告やPRにも大きな資本が必要になる。さらにOEMの供給先にも気を遣わないといけない。思っていた以上に難しかったんです」

メーカーそれぞれが個別に戦っていては、他ブランドに太刀打ちできない。だが地域ブランドを取得したことで、豊岡という地域全体でまとまって動けるようになった。組合でコンセプトを作り、デザイナーを共有するなど、さまざまな取り組みをしながら各社が少しずつ、バランスよく力を蓄えることができた。

 

興味深いのは、「豊岡鞄」という地域ブランドを、豊岡にある全てのメーカーが使えるわけではないことだ。クオリティを担保するため、豊岡市で製造された鞄の中で、組合が定めた基準を満たすものだけが認定されるのである。

組合には現在64社が加盟するが、認定企業は28社しかない。さらに、個別の商品も組合のブランド委員からなる認定会に諮られ、認定される商品は年200型ほどという厳しさだ。

豊岡鞄は、日本一の鞄の産地が、まさに本気で作り、本気で選んだ鞄なのだ。評価が次第に高まっていった背景には、歴史が培った確かな品質があった。

豊岡鞄の存在を全国に知らしめたのは、2009年から始めた全国の百貨店などでの期間限定の催事だった。北海道から九州まで、年によっては37カ所を駆け回ったという。この催事を主導した一人が、前出のマスミ鞄囊の植村社長だった。

「私ももちろんのこと、若手の社長が売り場に積極的に出るようにしたんです。おかげで、お客さまの声を直接聞く機会を得ました。そうした意見を、鞄作りにどんどん反映させていきました」

顧客からの意見をフィードバックし、製品のクオリティが向上する。さらに売れる。いい循環ができていった。予想を上回る売り上げに、全国の商業施設から自然と声がかかるようになった。

マスミ鞄嚢社長の植村さん(筆者撮影)

「改めて、良いものが求められていたんだ、ということを私たちも確信しました。だから、いつかは催事ではなく、どこかに旗艦店を作りたいと思っていたんです」

こうした豊岡鞄の動きに着目したのが、日本郵便が展開する商業施設「KITTE」だった。なんと、いきなり東京駅の目の前に建つ最新の商業施設から、出店の打診が舞い込んだのだ。

「本当にびっくりしました。でも、『2週間で決断してほしい』と言われまして」

さすがに2週間では無理、ともう1週間待ってもらったというが、そこには事情があった。催事で展開していた「豊岡鞄」は、複数メーカーの自社ブランドの寄せ集めで展開していたのだが、店を出すとなると、契約の主体、つまり会社が必要になる。

「豊岡鞄はあくまでブランドでしかありませんでしたから、契約するにも企業体がなかったんです。ただ、このチャンスを逃したら絶対に次はないと思いました」