「黒子」が表舞台に飛び出した
日本郵便が展開する東京駅前の商業施設「KITTE」の一階に、ちょっと風変わりなショップがあるのをご存じだろうか。店の名前は「豊岡鞄」。
置いてあるのは、もちろん鞄なのだが、「『豊岡』ってナンだ?」と思っている人も少なくないかもしれない。
店内には、さまざまな鞄が陳列されている。ビジネスバッグもあれば、カジュアルバッグもある。素材も色もさまざまで、なんとも個性豊か。ただし、どれも有名ブランドの品、というわけではない。ではセレクトショップなのかといえば、そうでもない。このあたりが、ややこしいところだ。

ご存じの方はご存じなのだが、「豊岡」というのは地名だ。兵庫県北部に位置する、人口8万人の小さな街である。実はこの地は、日本一の鞄の産地なのだ。
しかし、豊岡の鞄について詳しく知る人は少ない。なぜかといえば、豊岡の鞄はOEM(相手先ブランド生産)が中心だからである。
実はあの有名国内メーカーのビジネスバッグも、あのコレクションブランドのバッグも豊岡のメーカーが作っていたりするのだが、それは明かされない。なぜなら、OEMだから。豊岡の鞄産業はあくまで黒子、知る人ぞ知る存在だったのである。
ところが、そんな豊岡がある時、危機に直面する。背景にあったのは、円高やグローバル化によって、鞄の生産拠点が次々に海外に移ってしまったことだった。
兵庫県工業統計調査によれば、豊岡市の鞄製造業は年間277億円を誇った1990年をピークに、最悪だった2006年の66億円まで、急激な右肩下がりで製造品出荷額を落とし続けた。豊岡のモノづくりは、全盛期の約4分の1にまで縮小してしまったのである。
デフレ、需要減、都市集中、人手不足……。この30年、日本経済は、かつてないほどの荒波に襲われてきた。大きな打撃を受けたのは、豊岡だけではなかった。地方の地場産業には、壊滅的な状況に陥ったものもあった。
しかし豊岡は、そこから少しずつ反転を始める。そして2013年には106億円まで出荷額が回復、東京都足立区を抜いて国内トップの鞄産地となった。
今、豊岡は多くの地方都市から注目を浴びている。地場産業の復活のモデルケースとなっているのだ。
豊岡が盛り返すきっかけとなった要因のひとつが、冒頭で触れた「豊岡鞄」という名前に隠されている。豊岡の鞄を「ブランド化」するための取り組みだった。
2006年には、特許庁に地域団体商標、いわゆる「地域ブランド」として「豊岡鞄」が認定された。こうして豊岡に、OEMではなく、自社のプライベートブランドの商品を作るメーカーが現れるようになった。
2018年9月にKITTEで開業した「豊岡鞄」は、そうした豊岡のプライベートブランド鞄メーカーのショップなのだ。しかもこの店、普通の店ではない。というのも、市内の鞄メーカーが16社も集まり、合同会社を作って出店したものだからである。
東京のど真ん中にある一流の商業施設に、地方の小さなメーカーが出店する。普通ならありえないことだが、豊岡の人々はそれを実現させてしまったのだ。