極右・ルペンに「共感する」と言う学生に、政治学はどう向き合えるか

「長い60年代」の思想の限界と可能性
山崎 望 プロフィール

前者(=個人の解放)から順に見ていこう。60年代の運動を見ると、西側/東側を越えた共通性を見ることができる。それは「管理社会」批判である。

西側において拡張される福祉レジームも、東側の共産主義体制も、官僚的に人々が管理される「管理社会」である点では同じであり、個人はそうした社会から解放されたい、というパトスに溢れていた。西側の文脈で言えば、それは福祉レジーム下での「企業」や「家族」、「大きな政府」に対する叛乱である。

これらの制度が押し付けてくる規範や調整──中でも「大きな政府」の非合理性──に対抗して、それと入れ替わるように、市場を中心とした新自由主義が台頭してくる。私的所有権の擁護という理念を掲げ、国家の介入に対する批判、市場への信頼と民営化の支持、平等の理念と切り離した自由を掲げる新自由主義は、この意味で「個人の解放」を叫んだのである。

同時に「家族」を中心として社会に組み込まれた家父長制や性別役割分業に異議を申し立てた思想が第二波フェミニズムである。福祉レジームが押し付ける主体像に対して、自分の身体を取り戻し、家父長制や性別役割分業からの「個人の解放」を掲げたのである。この運動も多様な他の反差別運動と緊張関係ある連携をしながら、社会に浸透し現在に至る。

福祉レジームを形づくる制度、さらにはリベラリズムという思想から「個人の解放」を要求したという意味では、新自由主義と第二波フェミニズムは共通している。冒頭における、学生の就職(とその先の労働)と恋愛(とその先の結婚)をめぐる意見の「分断」は、「長い60年代」にすでにその兆候を確認することができる

 

「私たちは代表されていない」という感覚

では、もう一つの「長い60年代」における特徴、「代表批判」はどうか。これは、政党政治のレベルから大学や労働組合の代表に至るまで、既存の「代表」に対する異議申し立てが突き付けられたものである。

参加民主主義論の原点ともいうべき「ポートヒューロン声明」(米学生運動の団体が出した政治参加を求める声明)からは、既存の代表に対する不信感と直接性への希求を読み取ることができる。

さらに既存の代表を批判した新左翼運動に対して少数民族、先住民族、有色人種、移民、女性、性的少数派から、さらなる「代表批判」が起き、「長い60年代」の諸運動は対抗的に分岐して多様化していった。こうした諸運動は従来の「代表」では代表され得ぬアイデンティティを重視し、アイデンティティ政治を展開し、現在に至る。

他方で新左翼運動に対抗しながら、同時に従来の右翼運動に対しても反発した新右翼運動、もしくは新たな権威主義の潮流(これがポピュリズムにつながるとも考えられる)もこの時代に生まれてくる。例えば、安倍政権の最大の支持基盤として知られる日本会議の起源の一つは、1960年代に新左翼運動に対抗し、同時に既存の右翼運動に代表され得ないことに反発した民族派(ないし新右翼)運動にたどり着く。

こうした意味では「長い60年代」は、左右にくわえ、新旧が分裂した「分裂の世代(divided generation)」であった。また西欧では、国内社会の社会的文化的な亀裂とそれを代表する政党の関係が揺らぎ、庶民を代表してきたエリートと庶民の溝が深くなり、現代に至るポピュリズムの要因が生れた時期とされている。(カス・ミュッデ「ポピュリストを台頭させた欧州政治の構造的変化とは?」Foreign Affaires、2016年11月号参照)

現代のラディカルデモクラシーに至る諸運動も、権威主義やポピュリズムの諸運動も、「1960年代」における「代表批判」に起源を持つ、という共通点がある。

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