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極右・ルペンに「共感する」と言う学生に、政治学はどう向き合えるか

「長い60年代」の思想の限界と可能性

分極化する学生たちの意見

大学は教員から学生に一方的に専門知の受け渡しが行われる場ではない。反対に、専門知を身に着ける途上の学生との会話から気づかされることが多々ある。

多くの学生からたびたび耳にする会話は、就職と恋愛に関するものである。「若者事情」という感じもするが、こうした声は非常に重要だ。なぜなら、就職や恋愛に関連する議論と、政治学の距離は意外にも近いからである。どういうことか。

恋愛の次に結婚を仮定するならば「家族」を考えることになるし、就職の次に労働を仮定するならば「市場」について考えざるを得ない。これに「政府」を加えれば、「福祉レジーム」の主要なアクターが出そろうのである。福祉レジームとは耳慣れない言葉かもしれないが、大雑把に言えば、一国の福祉制度の在り方を指す用語だ。

リベラリズムの思想では市場と家族は私的領域とされ、国家のような公的領域と区別される。学生が関心を持つ就職や恋愛は、政治学の観点から論じるならば、私的領域にある福祉レジームの二つの拠点である「家族」と「市場」にいかに関わるか、という問いでもあるわけだ。

以下では、この一年ほどの学生との会話の中から気になったものを紹介しよう。

そこから見えてくるのは、学生の意見やそれを支える規範が二極に分裂していることだ。そして重要なのは、それらの意見・規範の一部が1960年代に起きた様々な「反管理」「反代表」を求める動きに源泉を持つように見えるということだ。我々を取り巻く「考え方の磁場」のようなものが見えてくるかもしれない。

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では、学生の真摯で切実な声に耳を傾けてみよう。筆者が知的好奇心を触発されたのは「家族」や「企業」に関する意見である。

まず「家族」や家族についての規範や価値をめぐっては、全く異なる意見を耳にする。一方では「『女、子供は黙っていろ』っていつの時代の話?」「結婚したら家事は均等に。ワンオペ育児は論外」「皆が皆、異性愛じゃない」といった意見がある。

他方では「すぐにセクハラ認定されるし、男は生きにくい社会だ」「退社した後、さらに夫が家事するの?専業主婦、最高」「同性愛とか少数の人に、なぜそこまで配慮するの?」といった意見である。

前者は家父長制、性別役割分業、異性愛秩序を批判する意見であり、後者はそれらを肯定する意見といえるだろう。後述の通り、後者は、男性の稼ぎ手+専業主婦を前提とする、戦後を支えてきた福祉国家のモデルと相性がいいことを念頭に置いておいていただきたい。

次に「企業」、もしくは労働をめぐる規範についても、意見の隔たりは大きい。一方では「努力して競争力をつけたい。敗者は自己責任だから助ける義務はない」といった意見がある。

他方で「グローバルな競争とか、『意識高い系』はウンザリ。風邪でバイトを休んでも飯を食べられるくらいの『そこそこ』がキープできる福祉国家みたいなのが良い」といった意見がある。前者は新自由主義と、後者は福祉レジームと親和的な意見といえよう。

学生たちの発言から、市場と家族という二つの私的領域の拠点において、意見の「分断」、それを支える規範の「分断」があることを見て取ることはできるだろう。

 

「ルペンは普通のことを言っている」

他方で、学生から「人気がない」話は、政治学がその主要な対象としてきた公的領域、すなわち国家、政治過程や政治制度をめぐる話である。日常生活から遠く、かつ「当たり前」の仕組みで、意見を持ちにくいのかもしれない。

しかしゼミでフランスの極右政治家として知られる、国民連合のマリーヌ・ルペンの演説文の「フランス人であることが何の区別にもならず、価値もなく、保護にもならない」「われわれは妥協しすぎた」「フランス人の利益を政治的決断の核心に据えなおすべき」という言葉を読んだ時、興味深い反応に出会った。

一方では「こういう政党は自由民主主義を破壊しかねない」「洗練されたナチスみたい」といった意見。他方で「生活感がある。気持ちがわかる」「ミュラー(※『ポピュリズムとは何か』の著者で政治学者)は『ポピュリズムは危険』と言っていたけど、ルペンは普通のことを言っている」といった言葉だ。

「ポピュリズム」への共感と言っても良いだろう。