彷徨いながら書くーー旅好きの自分が「小説」という旅に出るまで

旅には精神がある
宮内 悠介

落差のある小説へ

『偶然の聖地』の依頼をいただいたのは、遡ること5年、2014年の秋ごろのこと。

依頼内容は、エッセイと小説の中間のようなものを、「IN POCKET」誌に月五枚半くらいというものだった。軽い気持ちでお引き受けしたのち、連載の第一回、ぼくは頭を抱えることになった。

エッセイと小説の中間のようなもの。落ち着いて考えてみれば、それは小説にほかならなかったのである。

ひとしきり悩んだのち、もういっそ小説でいいやと原稿を送った。『偶然の聖地』という題は、第1回の原稿を前にいくつか案を出し、その中から決定されたものになる。

月5枚半なので、前回に何を書いていたかは忘れている。

そこで、ある程度大枠だけを決め、あとは出たとこ勝負で書くことにした。当然、調子のいい月もあれば、悪い月も出てくる。なんでも思うようにはいかない、これはまるで旅をしているようだと、連載の途中にふと思ったことを憶えている。

なんということか、『偶然の聖地』という連載は、ぼくをパッケージ・ツアーから強引に旅に連れ出す装置でもあったのだ。気がついてみれば、この連載が月に一度の楽しみになっていた。

月に五枚半という縛りが、結果として、なんでも汲みこむことのできる恰好の器となったのだ。記憶の奥底に眠っていた旅の情景を入れることもできたし、普通なら扱えないであろう思いつきを挿入することもできた。

『偶然の聖地』は、それまで思いもしなかった想像の翼を広げさせてくれる場ともなった。

結果としてこの本は、なんでもコントロール下に置いて計画通りに進めたいと考えるぼくが、文字通り偶然にまかせ、はじめて野放図に書いてみたものとなった。

いま、念願のインド再訪中にこの原稿を書いている。

静謐さをたたえていた原風景は、現実には、道を埋めつくす車やバイクに怪しいおっさんと、騒々しさに満ちみちている。記憶との落差のようなものがある。

でも、そこがいい。面白い国であることに違いはないし、この落差には何かユーモアがあるからだ。『偶然の聖地』も、落差のある小説であってほしいと願う。

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(文・みやうち・ゆうすけ 小説家)