ノートルダム大聖堂(写真はすべて筆者撮影)

フランス人の「教会離れ」をどう考えるか? ~大聖堂火災を受けて

教会は観光施設か、宗教施設か

世界屈指の教会を襲った大火災

ノートルダム大聖堂が火災で大きな被害を受けた。

崩れ落ちる尖塔の映像は、繰り返しテレビで流された。原因解明にはまだまだ時間がかかるようだが、修復工事にともなうものではないかと言われている。

キリスト教のカレンダーでは、今年は4月21日が復活祭(イースター)だ。火災のあった15日は、奇しくもイエスがエルサレムで捕らわれ十字架刑に処されたことを記念する受難週にあたっていた。

ノートルダム大聖堂は年間1300万人が訪れる世界屈指の教会である。

大聖堂が位置するのは、パリを東西流れるセーヌ川の中州シテ島である。ほぼ円形をしたパリの街のまさに中心にある。

シテ島には、紀元前からパリシイ族と呼ばれる人々が住んでおり、パリという街の名も彼らに由来する。ローマ時代、シテ島はジュピターを祀る神域だったが、ヨーロッパのキリスト教化後、同じ場所にノートルダム大聖堂が建てられた。

着工は1163年。日本では平清盛の時代だ。ノートルダムがパリの中心に建てられたというより、シテ島とノートルダム大聖堂からパリが始まったという方が適切だろう。

だからこそ今回の火災はショックだった。火災後まもなく、マクロン大統領も現場を訪れ、国内だけでなく国外にも寄付を募り、ノートルダムを再建すると宣言した。

しかし、再建にあたっては資金以上に重要な論点もある。何を目指して再建するかである。

何をどのように再建するか

修復費用についてはすでに千億円を超える寄付の申し出があり、当面の資金調達に大きな問題はなさそうだ。だが、これから、何を基準に修復するかというコンセンサスを得なければならない。

マクロン大統領は5年以内の再建を宣言している。2024年のパリ・オリンピックを意識した発言だ。

フランスの場合、東京の日本橋にあたる道路元標もノートルダム大聖堂の前にある。仮に5年後に再建されれば、大聖堂は、マラソンなどの舞台として活用されるだろう。

 

現在の報道では、ノートルダム大聖堂の構造部分には甚大な被害は見られないという。とはいえ、消化活動で多くの水を吸ってしまっており、修復再建には慎重な作業が求められる。

火災前の状態に忠実に修復するには数十年かかるとする専門家もいる。修復の早さを重視するのか、それとも忠実な原状回復を目指すのかの選択が迫られる。

中でも焦点になっているのが、焼け落ちた尖塔だ。尖塔を再建するのかどうか。そして再建する場合には、そのデザインを世界中から公募する計画が発表され、議論を呼んでいる。

ノートルダム大聖堂の修復は今回が初めてではない。メンテナンスも含めた小規模修繕は何度も行われてきたが、19世紀半ば、大規模な修復工事が行われている。

当時、フランス革命以降の社会情勢の不安定化で略奪や破壊が繰り返され、ノートルダム大聖堂は廃墟のようになっていたのだ。

この時修復を担ったのが、建築家ウージェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ=ル=デュク(1814〜79)である。今では歴史的建造物の保存修復に近代的な手法を取り入れた先駆者として知られている。

ヴィオレ=ル=デュクが目指したのは、中世の創建まもない頃のノートルダムだ。だが、その頃の記録に忠実に復元したわけではない。