宮本武蔵の教え――勝負を決めるのは「平常身」

【5分de名著】宮本武蔵『五輪書』訳注:鎌田茂雄 ①
講談社学術文庫 プロフィール

[訳者解説]宮本武蔵の「平常身」

無心というと心がないのではない。あっても動揺しないことなのである。鏡のような心が無心であり、それはそのまま平常心なのである。

 

合気道の技を行なう場合も、この無心の境地が大切である。どこまでも動揺することなく、一つに固まることなく、流れるように動いて動かぬ心を持たなければならない。それはまた柳生新陰流の剣法の極意とも通ずるものなのである。

無心とは身体全体にひろがりわたった気であるが、無心を体得した人を道者という。道者とは胸に何ごともない人である。胸に何ごともなく無心になりきっているけれども、どんなことも成すことができる人のことである。無心の境地とは鏡が常に澄みわたって、何の形も映さず、しかも鏡の前に向ったものの形はどんな物でも明らかに映すことができるようなものである。道者の胸の内こそまさしく鏡の如きものでなければならない。この無心の相(すがた)を別の言葉で平常心ともいう。

柳生宗矩は沢庵(たくあん)から禅の指導を受けていたため、平常心というものを禅の立場から説いたが、武蔵の『五輪書』の平常心は平常心ではなくて、平常身であることに注意しなければならない。

平常心が観念的であるのに対し、平常身は具体的である。「常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする」ことが一番大切であると武蔵はいうのである。戦いの場において常の身を保つには、朝鍛夕錬の修行によって身を鍛えあげておかなければならないのである。身が感じ、身が思うようにならなければ武蔵のいうことは分からぬ。

著・宮本武蔵 訳注・鎌田茂雄 『五輪書』より 第二回はこちら