22年前に殺された母の仇討ち殺人が共感を呼ぶ「中国の司法事情」

実は同様の復讐が絶えることなく
北村 豊 プロフィール

過去の不公平は考慮されず

2018年9月27日、漢中市人民検察院は張扣扣を故意殺人罪および故意器物損壊罪で起訴した。事件に関し、張扣扣の弁護側は、事件は証拠不十分であると同時に、22年前の殺人事件に関連したものであり、張扣扣が自首したことを勘案して温情判決を下すよう要請した。が、検察側は手段を択ばない残虐な犯行であり、社会に危険をもたらす可能性が大きいとして死刑判決を要求した。

2019年1月8日、漢中市中級人民法院で張扣扣事件に関する第1審が開廷し、同日中に次のような判決が下された。すなわち、張扣扣を故意殺人罪で死刑に処し、政治権利の終身剥奪とし、さらに故意器物損壊罪で懲役4年に処す。よって併合罪により死刑執行と政治権利の終身剥奪を決定する。

法廷は張扣扣が自首したことは認めたが、刑罰を軽減する理由としては不十分であると断じた。一方、張扣扣は判決を不満として即座に上告する旨を表明した。

この事件については、さまざまな立場からコメントがなされた。

在米の中国人弁護士である劉士輝は、1996年12月の汪秀萍殺人事件の裁判結果について、未成年者の王正軍を身代わりに立て、刑期を7年と短くした上に、わずか3年で釈放した背景には贈収賄による法の歪曲が明らかに認められると述べている。

こうした司法上の不正や不公平が、母親の無念な死を目撃した張扣扣に大きく作用して、22年後に母親の仇討ちを果たす原動力になったのだという。

また、在米の著名な法学者である程幹遠は、「張扣扣の仇討ち殺人事件が陝西省漢中市の農村で発生していることは、中国全体の法治(法に基づき国を治めること)が不徹底である現状を反映している」と述べ、その理由を次のように語っている。

すなわち、中国は口では法治国家だと言っているが、張扣扣の母親が殺害された事件の裁判のような司法の不公平が依然として多発しており、農民たちにはそれを訴える場所がないのが実情である。これは一地方だけの問題ではなく、中国全土で普遍的に見られる。

暴力手段を用いて司法の不公平を解決しようとするから、この種の血なまぐさい復讐劇の事件が各地で絶えることなく発生している、という。

近年だけでも、有名なものでは、楊佳、賈敬龍、夏俊峰などといった人々による復讐殺人事件が発生しているが、その背景には司法の不公平が存在しており、これらの殺人者は英雄でも凶悪犯でもなく、被害者なのである。

 

さて、最初に述べたように2019年4月11日に陝西省高級人民法院による張扣扣事件に関する第2審が開廷した。同法廷の焦点は、犯行時点で張扣扣に刑事責任能力があったか否か、被害者を繰り返し複数回刺した理由など5点に絞られていたというが、張扣扣は次のように陳述していた。

【1】母親が死んだ時に私は仇討ちを天に誓った。2018年の春節前に王正軍が実家へ戻ったのを見た時、即座に母親が殴り殺された場景を思い出した。その時に春節で王家の息子3人が実家へ戻る機会を利用して、王家父子4人を殺害することを決意した。

【2】母親が後頭部を殴られて気絶したのは我が家の門前だった。父親は気絶している母親を抱えて王家の門前へ運び、王家の人々に見せたが、彼らは何もしようとせず無視しただけだった。その後に気付いて這って家に戻った母を私が抱いて呼びかけたが、その時すでに反応がなく、母親は死亡した。母親の遺体【見分?】は彼の家の門前で1時間かけて行われたが、張扣扣はその場に立ち合っていた。

【3】検死の結果、王正軍には24カ所の刺し傷があったが、その傷口の向きは一定せずばらばらだった。その理由は、憎しみと怒りででたらめに刺したが、先ず身体の背面を刺してから、前面を刺して、絶命を見届けた。

法廷の弁論が終了した後、最終陳述を行った張扣扣は、「弁護士に感謝します。私は後悔していませんので、どのような判決が出ても甘んじて受け入れます」と述べて、その後に行われた第2審判決の言い渡しを聞いていたという。中国の裁判は2審制が採用されているので、張扣扣の裁判はこれで結審となり、彼の死刑は確定した。

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