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落語家はなぜ「襲名」するのか? 歴史に根ざした深い理由

四代目・三遊亭圓歌の誕生を祝って

三代にわたって噺を聞いている感慨

四代目の「三遊亭圓歌」が誕生した。

三遊亭歌之介が襲名したのだ。いま襲名披露興行中である。

圓歌も、もう四代目かと少し感慨深くなってしまう。

先代の、三代圓歌が襲名したのも何となく覚えているからだ。

もう50年近く前、1970年、昭和でいえば45年に三代目が圓歌を襲名した。この人は1960年代に売れに売れた人だったので、だいたいの日本人なら知っていた。だからその襲名も何となく覚えている。

そのまま二代目圓歌も知ってるという気分になってしまうが、それは勘違いだ。二代目圓歌が死んだのは1964年だから、これはさすがに覚えていない。ただ、この二代目圓歌のエピソードをいろんな落語家が話すものだから、それを聞いてるうちに自分もなんとなく知ってるようにおもっていたばかりだ。

二代目圓歌。三代目圓歌。四代目圓歌。

三代にわたって圓歌を聞いているのだなと(二代は録音だけれど)、少しばかり感慨深い。家康に仕えていた家臣が(酒井雅楽頭とか)孫の家光が将軍職に就くのを眺めているときも、こんな気分だったのかもしれない。知らんけど。

 

売れに売れた三代目

先代三代目の圓歌は、三遊亭歌奴という若いときの名前で売れた。

「山のアナアナアナ」と連呼する新作落語が有名で、初代の林家三平と一緒に売れに売れた。

晩年の高座で、「まだおれのことを歌奴と呼ぶやつがいる」とよく言っていた。もう圓歌になって40年経ってるのに、と愚痴るように言うと、必ず受けていた。この人の高座は、いついかなるときでも受けていた。そういう意味では化け物のような落語家だった。

1960年代、三遊亭歌奴の時代に映画やテレビに多数出演していた。

1970年の圓歌襲名からテレビなどの出演を減らしたと言う。1960年代は私は関西の小学生だったが、テレビでとてもよく見かけたので、1970年に名前が変わったというのも覚えている。私個人は1972年笑福亭仁鶴、桂三枝が牽引していった「若手の上方落語の時代」からこの世界にはまっていったのだが、東京の落語家でも歌奴や三平は強く覚えていた。

私の母は圓歌より少し年上という年代なのだが、いちど一緒に落語を見ていたとき(たしか2008年の五代米團治襲名の京都公演)、圓歌が出てきて、大きな人やなあと言ったのが印象的だった。母は三代圓歌の身長が高いとおもっていたのだ。驚いた。

落語好きなら周知のように三代圓歌はかなり背が低かった。弟子は、常にそれをネタにしていた(足湯に全身で入って溺れかけただの、ポケットに入れて師匠を運んだだの、ネコが咥えて連れさっただの、いろいろ)。テレビだけで見ていた私の母は、とても背の大きな人だという印象を抱いており、テレビというのは人をそういうふうに見せてしまうのもだな、と少し感心もした。