野村克也さんがいま明かす「沙知代さんが亡くなった瞬間のこと」

「ありがとう」と言えなかった男の悔恨

歴代2位の657本塁打、戦後初の三冠王などの記録を持つスラッガーであり、監督として4球団で采配を揮い、3度の日本一に輝く名指揮官であった野村克也さん。その妻・沙知代さんがこの世を去って、もうすぐ1年半になる。

サッチーのニックネームでテレビにもしばしば登場し、歯に衣着せぬ言動で注目を集め、ときにはトラブルメーカーにもなった。そんな彼女に眉を顰めた方も少なからずいたはずだ。そして、皆、不思議に思ったはずだ。「なぜ、野村監督は一緒になったんだろう?」

端から見れば、不可解なのが夫婦の仲。50年連れ添ったサッチーを失ったノムさんの言葉には、妻に対する深い愛情が溢れていた。

 

恐ろしいほど正直な女

涙は出なかった。

私の妻、野村沙知代が逝ったのは、2017年12月8日の午後だった。

85年と258日の生涯だった。

私の体はプロ野球の世界にどっぷりつかって生きてきたせいで「ナイター」仕様になっている。起きるのはいつも昼の12時を回ってからだ。そんな生活リズムゆえ、午前中の仕事はすべて断っている。

私も妻も趣味はテレビ鑑賞だけだった。私たちは夫婦でゴルフをしたり、温泉に行ったりすることもなかった。

振り返れば、私たちには、思い出のデートスポットや、思い出の映画というものがない。プライベートで2人でどこかへ出かけるということがまずなかった。

家が好きというよりは、夫婦揃って出不精なのだ。外の世界から刺激を受けずに生活したい。

テレビを観る部屋は別々だった。私は応接間、妻は食堂(ダイニング)が定位置だった。同じ番組を観ていることもしょっちゅうあったが、一緒に観ることはなかった。いわゆる「家庭内別居」である。

妻が喫煙していたことも、いつの間にか居住空間が別々になった理由かもしれない。沙知代は外でタバコをふかすことはなかったが、家へ帰って来ると食堂のテーブルで吸っていた。

私もかつては喫煙者だったが、50歳になったときにきっぱり断った。

極力互いに干渉し合わないこと。それが夫婦生活を送る中で自然と身についたルールだった。

私たちはプレゼントのやり取りなども一切しなかった。誕生日も、結婚記念日も、クリスマスも、日常と何ら変わりなく過ごした。入籍した日も正確には記憶していないくらいだ。

まだ若い頃、一度だけ、誕生日にブローチをプレゼントしたことがある。ある店で、沙知代が「これいいわね」と言っていたので、覚えておいて、次の誕生日にプレゼントしてやろうと企てたのだ。

ところが、喜んでくれると思いきや、「なに、これ」の冷たいひと言だけ。それどころか沙知代は翌日、そのブローチをお店に返品してしまった。

店員さんの手前、少し褒めただけで、実際には、なんとも思っていなかったようだ。

そのとき、沙知代に金輪際、プレゼントをするのはよそうと思った。

そんな妻に失望したかといえば、そうでもない。

贈り物を断るときなどに、よく「お気持ちだけ頂戴しますので」と言うことがある。だが、沙知代は物の中に「お気持ち」は見ない。純粋にモノとして見る。

目の機能としては、とてもシンプルだし、精度が高いとも言える。

モノにとっても、沙知代のような人物に目利きをされた方が幸せではないか。気持ちが入っているからと言って、モノの良し悪しは変わらないのだから。

恐ろしいほど正直な女だな。

どこかで、そうおもしろがってもいた。

ブローチの一件を話すと、よく「どんな女性でも、花をあげれば喜ぶものですよ」とアドバイスされる。そのたび、私はこう言葉を返したくなったものだ。

どんな女性の「どんな」の中に含まれない女性も、この世には存在するのですよ、と。その代表格が沙知代だ。