また巻四には、長屋王の娘である賀茂女王と大宰府の官人だった大伴
これらはみな、読者に長屋王事件を喚起する仕掛けに相違ありません。偶然の符合にしては出来すぎている。巻六では膳王の歌の直後から旅人ら大宰府関係者の歌ばかりが続きますから、テキストとしての『万葉集』は、旅人が長屋王事件のとき遠い大宰府にいたことをも読者に印象づけようとしていることになります。
もう一度梅花歌群に戻りましょう。
「都見ば賤しきあが身またをちぬべし」のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原一族に向けられていると見て間違いないでしょう。
あいつらは都をさんざん
長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。年老いた私にできることといえば、梅を愛でながらしばし俗塵を離れることくらいなのだ……。
これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。
テキスト全体の底に権力者への憎悪と
もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。
安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。
一つは、新しい年号「令和」とともに〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突き付けられるはめになったこと。
二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。
もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんとも
もう一点、総理の談話に、『万葉集』には「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。
この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が批判しつづけたことが学界や教育界の受け入れるところとなったのです。
安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』を語るにはあまりに不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった一二ページですから、ぜひお目通しいただきたいものです。
東京大学教養学部主催の「高校生のための金曜特別講座」で語った内容ですから、高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います。
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【記】 品田悦一「万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」(東京大学教養学部編『知のフィールドガイド 分断された時代を生きる』二〇一七年八月、白水社)
〈追記〉 安倍談話以来、「品田の本を読め」という声が世間に飛び交った結果、長らく品切れ状態だった旧著『万葉集の発明』(二〇〇一年、新曜社)の新装版刊行が決定した。
〈補記〉 「帰田賦」「蘭亭集序」を引き込んでの読みには先行研究があるが、この戦闘的な文章が累を及ぼすことを危惧して、あえて私ひとりが矢面に立つ形にした。諸先学におかれては筆者の意を察して諒恕されたい。