東大教授が解説!「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ

話題の読解「完全版」
品田 悦一 プロフィール

長屋王事件の痕跡

この事件は後に冤罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、遠い大宰府にあって切歯扼腕せっしやくわんするよりほかなすすべがなかった。

そればかりではありません。皇太子の死と前後して、聖武天皇にはもう一人の皇子が誕生していました。県犬養広刀自あがたのいぬかいのひろとじが産んだ安積あさか親王です。

母方の血筋が藤原でない親王がゆくゆく天皇になることを恐れた藤原一族は、亡き皇太子の母であるという口実で夫人ぶにん藤原安宿媛あすかべひめの立后を画策し、まんまと成功します。光明皇后です。

光明皇后がまた男子を産めば安積親王より上位にランクされると踏んでの策謀であり、皇后になれるのは皇族の女性だけという古くからの慣習を踏みにじっての横車でした。これが八月のこと。言い遅れましたが、そもそも生まれたての嬰児を皇太子にしたこと自体、藤原一族のごり押しにほかなりませんでした。

 

『万葉集』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、梅花歌群の少し前、天平元年のところには、旅人が藤原房前に「梧桐日本琴ごとうのやまとごと」を贈ったときの書簡と歌が載っています(八一〇~八一二)。事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、長屋王事件に続いて光明立后までが既成事実化した時点で旅人のほうから接触を図ったのです。

表面上は

〈すばらしい琴を入手しました。その精が夢に現れて、風雅を解する人の膝を枕にしたいと申します。貴殿こそふさわしいと存じまして、このとおり進呈いたします〉〈貴公ご愛用の品を下さるのですな。決して粗略には扱いますまい〉

と勿体ぶったやりとりをしているのですが、実は

〈ぜんぶ君たちの仕業と察しはついているが、あえてその件には触れないよ〉〈黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物はありがたく頂戴しておきましょう〉

と、きわどい腹の探り合いを試みた――あるいは、とても太刀打ちできないと観念して膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、とにかく、巻五には長屋王事件の痕跡が書き込まれているのです。

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巻五だけではありません。巻三所収の大宰少弐(次席次官)小野おゆの作、

あをによし寧楽ならの都は咲く花のにほふが如く今盛りなり(三二八)

は、何かの用事でしばらく平城京に滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、『続日本紀』によれば老は天平元年三月、つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。すると、大宰府に帰った老は、光明立后の気配があることなど、事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる――そういうことが行間に読み取れるのです。