東大教授が解説!「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ

話題の読解「完全版」
品田 悦一 プロフィール

託された「時代と国境を超える共感」

この文章は書道の手本としてあまりに有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、「梅花歌」序を書いた旅人も知悉ちしつしていただけでなく、読者にも知られていることを期待したはずなのです。

「梅花歌」序の内容は、表面上は〈良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。そしてその心持ちを歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。

「蘭亭集序」の前半も、会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて歓楽を尽くそうとするむねを述べており、ここまでは「梅花歌」序とよく似ていますが、後半には「梅花歌」序にない内容を述べます。

 

――ひとときの歓楽に身を任せ、満ち足りていれば、老いが迫ってくるような気がしない。とはいえこの境地にも飽きてしまうと、感情は周囲の事情に応じて移ろい、感興も消えていく。かつて楽しんだ物事もたちまち過去のものとなってしまうが、だからこそ面白いのだとも思わずにはいられない。

まして長寿も短命も造化のはからいのまま、ついには死が待っているのではないか――古人は「死生は重大事」と言った。なんと痛切なことばだろうか。彼らが折々の感興を綴ったものを読むたびに、まるで割り符を合わせたかのように私の思いと合致し、たとえようもない感動を覚える。

後世の人々が今のわれらを見るのは、ちょうど今のわれらが昔の人々を見るのと同じだろう。時代は移り、事情は異なっても、人が心に抱く感慨はつまるところ一つだ。後世の人々もわれらの書いたものに共感してくれることだろう――。

この、後半の内容までが参照を期待されている。老荘的脱俗思想だけではありません。人はみな死を逃れられない。いずれ死ぬという宿命を背負わされた人間と人間は、ともに切ない人生を生きる者として、時代を超えて分かり合える。何よりも文芸の力がそれを保証してくれる、というのです。

王羲之を古人として慕った大伴旅人も、文芸が人間どうしの共感を繋ぐことを信じていたはずです。中国と日本ですから、時代だけでなく、国境をも越えた共感――時空を超えた共感です。

これを支えるのは、「国書」というような内向きの発想ではありません。旅人の息子で『万葉集』を完成させたと見られる大伴家持も、『万葉集』を国書だなどとはゆめゆめ思わなかった。東海の島国に暮らしていても、われらの歌、われらの文化は大陸と地続きなのだというのが彼らの意識でした。東アジアという、彼らにとっての世界を標準として物事を考え、表現していたのです。

ついでに言えば、「国書」ということばは元来は外交文書を意味していました。

日本の書物を意味するようになるのは、私の知る限りでは一八八三年(明治16)、前年設置された東京大学文学部附属古典講習科の下部組織が「国書課」「漢書課」と命名されたときです。「国書」の語はそれ以前にも一八七七年設立の大学予備門のカリキュラムに使われていますが、そこでは漢文で書かれた書物が上位に位置づけられていて、漢籍との分離が曖昧です。「国書」の用語例を洗いざらい調べたわけではありませんが、〈わが国の書物〉という物の見方が漢籍を排除して定立するのは、一八八三年と見てよいように思います。

古典講習科の設置は、帝国憲法体制の構築という国家的課題に向けた人材養成の一環でしたから、「国書」という概念は明治国家の国策を背景に生み出されたといえるでしょう。