天安門事件を語って泣きじゃくる石平と焼酎を飲んだ話

「あの日」から30年目の独白
安田 峰俊 プロフィール

永遠に消えないトラウマ

元中国人の保守評論家・石平は、世間において毀誉褒貶が激しい人物だ。2002年に書籍デビューした彼はシャープな中国論が持ち味であり、テレビ出演も多い。

反面、2010年前後からおどろおどろしい題名の「反中本」の刊行が増え、ツイッターでも保守系の識者の投稿や保守系まとめサイトの記事をしばしばリツイートしている。私自身、石平の中国共産党の内在論理についての見解や、彼独自の中国文化論には敬意を覚えるいっぽう、日本国内における彼の政治的な立ち位置やSNSでの言説は同調し難いと感じている。

だが、石平にはもうひとつの顔がある。彼は文化大革命時代だった幼少時、祖父から密かに『論語』を叩き込まれ、1980年に北京大学哲学部に入学した後は、ロックやルソーに傾倒して学内で民主化運動に奔走していた。やがて卒業後に四川大学哲学部の講師になったが、学生たちに民主化運動のオルグをやりすぎて上司に睨まれてしまい、1988年に日本に留学。神戸大学大学院で修士号を取得し、博士後期課程を修了している。

 

ちなみに石平が入学した1980年当時の中国の大学進学率はわずか1.3%ほどで、なかでも北京大学は最上位である。かつて中国人だったころの彼は、国内で最高レベルのエリートであり、しかも祖国の輝かしい夜明けを夢見て戦い続けるパワフルな民主化闘士だったのだ。

だが、そんな石平は1989年6月4日に発生した天安門事件で大きな衝撃を受け、やがて過去の自分を封印した(本人の表現を借りれば、天安門事件前後の思い出を「冷蔵庫」にしまった)。そして、日本で新しい人生を歩むようになり、自分が中国人であることを完全に捨て去ろうと考えた。

※思いを率直に語る石平。『「天安門」三十年 中国はどうなる?』初稿ゲラより。

ちょっと不謹慎な言い方をするならば、最近の私はそんな石平の人生航路を追跡する行為にハマっている。――というより、もはや抜けたいと願っても抜け出せなくなっている。私は天安門事件の取材をきっかけに、分厚い地層の下に眠っていた石平の別の顔に出会い、それにとらわれてしまったのだ。

私と彼の対談本『「天安門」三十年 中国はどうなる?』は、5月22日ごろに書店に並ぶ。出版元はなんと『新しい日本の歴史』で知られる、一部の界隈でまことに悪名が高い育鵬社だ。舞台裏を話しておけば、実は出版社の候補は複数あったのだが、石平が特に信頼している編集者がいるという同社を私があえて指名した。本人がいちばん伸び伸びと喋れる環境で、話をしてほしいと思ったのである。

結果、石平は対談に対して並ならぬテンションで臨んできた。以下に彼が書いた本書の「まえがき」部分を少し引用しておこう。

<いま思えば、私が(中略)天安門事件への自分の記憶を心の闇の奥に追いやったのは、結局自分自身を守るためであって、自分の精神が崩壊するのを本能的に避けたかったからだ。「天安門」は、自分にとってそれほど深刻なものなのである。

しかしながら、自分の人生で、永遠に「天安門」からの逃避行を続けてはならないことも分かっているし、いずれ、自分自身の心の殻を破って、当時のことをもう一度見つめ直さなければならないことも分かっている。天安門民主化運動の歴史的意味をもう一度検証し、総括してみることは、当事者である自分の使命であるのと同時に、あの事件で命を奪われた多くの仲間たちに対する、生きている者の責任でもあるのだ。>

30年前のちょうどいまごろ、石平は京阪神で祖国の民主化要求運動をおこなう中国人留学生たちの広域連帯組織の幹部になり、デモをおこなったり、大阪や神戸の街でビラを配ったり、カンパを集めて中国に送金したりとフル稼働で駆け回っていた。1980年の北京大学入学から中国の改革を夢見続けた、民主化青年・石平の青春の総決算だった。

※武力弾圧の一報を聞いた1989年6月4日、大阪の中国総領事館前で声を上げる27歳の石平。『私はなぜ「中国」を捨てたのか』(2009年、ワック)電子版より

だが、1989年6月4日の未明に人民解放軍による武力鎮圧が発生する。石平は日本のテレビで惨劇の一部始終を見て夜通しで慟哭し、矢も盾もたまらず翌朝の始発電車に乗って大阪の中国総領事館に突撃した。日本側の警察が外国公館保護のために何重ものバリケードを敷くなかを、仲間たちと涙声で絶叫しながら抗議デモを打ったが、もはや情勢が覆るものではなかった。中国の体制改革の芽は消え去り、民主化の可能性はほとんどなくなってしまったのである。

やがて一切が終わったとき、石平はすでに以前の彼ではなくなっていた。

かつて心のなかに溢れんばかりに満ちていた祖国への愛は消し飛び、ニヒリズムにとらわれた。本人いわく、彼にとっての天安門事件は「すべての終わりだが、すべての始まり」だったというが、30年後になっても事件を思い出して泣いている石平の顔を見ると、私はその言葉をそのまま受け取れそうにない。彼のなかで、天安門事件のトラウマは永遠に消えないようなのだ。