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令和直前大特集「さよなら昭和と平成」あの出来事を振り返る

ショーケンが髪を切ったあのころ

萩原健一さんが亡くなって2週間足らず。その喪失感は日に日に大きくなる。何度、スキャンダルを起こしても、ブレることのない生き方に魅了された。そしてなにより彼を受け入れた昭和は懐が深かった。

ビートルズ来日とGS

平成の終わりと歩を合わせるようにショーケンが旅立った。

昭和の大スター、萩原健一さんが68歳で亡くなった。彼の人生はまさに怒濤だった。

'66年、中学生のときに「ザ・テンプターズ」に飛び入りで参加し、ボーカルとしてメンバーに加わると、翌'67年にバンドはレコードデビューを果たす。ショーケンはまだ17歳。

その後、『神様お願い!』『エメラルドの伝説』など次々にヒットを飛ばした。'70年のバンド解散後は、数々の映画やドラマに出演。男女問わず若者を魅了した。

脚本家の柏田道夫氏(65歳)は圧倒的な喪失感についてこう言う。

「ショーケンは理想の男性を具現化させた存在でした。彼が現実社会でたびたび犯してしまう刑事事件も、なぜか魅力の延長に思えてきて、自然と許せてしまう。

ショーケンが平成だけでなく、私たちの世代が青春を過ごした昭和も一緒に連れて消え去ってしまったように思えてなりません」

倍賞美津子との熱愛写真を撮影されて、カメラマンらを殴る蹴るした事件のほか、過去に4度の逮捕歴があった。

作品に対するこだわりからトラブルメーカーだったショーケンにとって、コンプライアンス重視が声高に叫ばれる「平成」、そしてこれから迎える「令和」は生きにくい時代になる。それも彼は分かっていたことだろう。

ショーケンが強い輝きを放った'60年代後半から'80年までは、大らかでエネルギッシュだった。そんな時代を駆け足で一気に振り返っていく。

'66年は60年に一度の丙午だった。出生数は前年比でマイナス46万人。

その一方で、新しいカルチャーが登場する。コラムニストの泉麻人氏(63歳)が思い返す。

「グループサウンズと過激化した学生運動のニュースとが混在した、騒乱の時代という実感があります。'66年の後半にはザ・スパイダースの『夕陽が泣いている』やジャッキー吉川とブルー・コメッツの『青い瞳』がヒットしました。

GSブームの発端は、やっぱりビートルズでしょう。'66年6月に来日して一段とポピュラーになり、ベンチャーズを中心にしたエレキブームも合わさってGSブームが起こったんです。

当時、まだ小学校4年生だった私が夢中になったのは、'66年1月に始まった特撮テレビドラマ『ウルトラQ』でした。怪獣ブームが起こり、駄菓子屋では怪獣のプラモデルやブロマイドが売られた。身の回りに怪獣グッズが溢れていました」

'67年に登場したザ・テンプターズは、あっという間に人気者となり、翌年にはザ・タイガースを脅かすほどとなった。だが、'68年がGSブームのピークで、以降は萎んでいく。

この頃から、急速に普及したのが、「3C」と呼ばれた自動車、クーラー、カラーテレビだ。前出の泉氏が語る。

「クリスマスシーズンになると新聞は、カラーテレビの広告ばかりになったことをよく覚えています。ウチが買ったのは'67年の初めでした。

カラーテレビを買うと、受信料を払っている証拠として、家の玄関に銀と3原色のステッカーが貼られる。それがある家はステータスだったんですよ」

ビートルズに続いて、日本中がその来日に大騒ぎしたのが、世界的ファッションモデルのツイッギー。'67年10月に初来日すると、165cm、41kgのスタイルと美脚に、若い女性たちは憧れ、ミニスカートが流行した。

 

プロ野球ファンならば、'68年9月18日の巨人・阪神戦を覚えているだろう。

阪神のバッキーが王貞治に内角ギリギリの投球。これに激怒した王の師匠である荒川博コーチがバッキーに蹴りを入れ、バッキーもカウンターでパンチを浴びせた。この後、両軍入り乱れて球史に残る大乱闘となる。

タレント・レポーターの大木凡人氏(69歳)が、当時の思い出を語る。

「'67年にハワイ出身の高見山が外国人力士初の関取になります。彼は『ジェシー』と呼ばれて、凄く人気でしたよ。インタビューをしたこともありますが、なにをしゃべっているのか聞き取れなかった。それでも笑顔がなんとも言えず、人懐っこくて良いんですよね。

'68年は参議院選挙で、石原慎太郎、青島幸男、横山ノック、今東光、大松博文というタレント候補が5人も上位当選したことを覚えていますが、やはり一番は3億円強奪事件でしょうね。

強奪犯がハンサムだったというのが通り相場だったので、イケメンの友人を『おまえが犯人じゃないか』とからかう、そういうジョークが流行りましたね。

'68年の歌では青江三奈さんの『伊勢佐木町ブルース』、いしだあゆみさんの『ブルー・ライト・ヨコハマ』。なぜか横浜を舞台にした曲がヒットしました。

'69年に流行った歌で印象に残っているのは藤圭子のデビュー曲の『新宿の女』。当時、インタビューしたのだけど、彼女は『はい』と『いいえ』しか答えない。暗い女性を演出するためにそれしか言わないように徹底されていたそうです」