日本一の青年剣士を生み出した「音羽の剣道場」秘話

大衆は神である(47)
魚住 昭 プロフィール

伊香保の道場での猛稽古

清治は音羽だけでなく、伊香保温泉、千葉、伊東にある自分の別荘にそれぞれ道場をつくり、恒や社員、少年たちの稽古の場とした。なかでも、伊香保の道場に有名剣士たちを招いて行われる猛稽古は、剣道界の語りぐさになるほど激しかった。午前9時ごろから始まり、午後2時、3時までぶっ通しである。

伊香保の冬はことのほか寒い。朝、少年たちが雑巾がけをすると、そのまま廊下が凍るほどだった。その寒さの中で数時間を、稽古着1枚で過ごさなければならない。

稽古中、清治と左衛が上段に座って監督する。畳敷きの上にじかに座ったまま何時間も動かないでいるのだから、ふたりの辛さや寒さは並大抵のものではなかったろう。

清治は拍子木(ひょうしぎ)をそばに置いていて、何か気がつくとカチカチ鳴らす。そして一席ぶって気分を一新させ、剣道教師や恒ら少年たちに試合をさせ、勝った者には豪華な賞品――それは缶詰の山だったり、時には日本刀だったりした――を与えた。

外部から、学校の先生らが生徒をつれて稽古に参加することもある。そういうときには注意しなければならないことがあった。猛稽古をつづけて何日かたつと、顔色がはじめは青くなる。次には紫色か黄色になる。それをすぎると白色になるのだが、ここまでくるともう危ない。紫色か黄色の時に「あなたはもう帰りなさい」と言わなければならない。

どんなに元気な者でも、1週間ほどすると、この状態になる。今で言う栄養失調で、弱い人は夜になると目が見えなくなる。いわゆる鳥目(とりめ)である。道場では十分栄養をとらせるようにしているのだが、身体が疲労の極に達すると、栄養を吸収する力がなくなって、こうなるのである。

清治は1年のうち半分は伊東や伊香保、または音羽の道場に出ていた。だから少年たちの剣道も強くなった。恒も、この猛稽古をつづけ、やがて日本一の青年剣士に成長する(註④)。

註① 筒井清忠著『日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察』(岩波現代文庫)参照。
註② 掛川トミ子「野間清治」(『20世紀を動かした人々15 マスメディアの先駆者』所収、講談社刊)参照。
註③ 辻平一著『人間 野間清治』(講談社刊)より。
註④ 同右。