芥川賞作家・村田喜代子がファンタジーを通じ描きたかった「死の姿」

『飛族』刊行インタビュー

死んだ人に会える場所

―92歳のイオ、88歳のソメ子。老女二人きりで暮らす国境近くの離島が新著『飛族』の舞台です。作中に古事記の逸話もでてきますが、長崎県の五島列島近辺がモデルでしょうか。

そうですね。あの辺りはその昔、遣唐使たちが最後の水を汲んで船出していった場所。平安時代の古典文学には、死んだ人間に会える場所だとも記されています。当時の都の人々にとっては、この世の果て、極楽浄土の入り口だったんでしょう。

そんな島々が、今は密入国や密漁の水際になっている。福岡に住んでいるとそうした話は耳に入ってきますから、何か皮肉だなぁと思っていました。ですが、それを物語の主軸にするつもりはなく、最初は人間が空を飛ぶ話を書いていたんです。

―空を飛ぶ?

ええ。自分は飛んでいると錯覚して明晰夢を見ている人たちを書きたかった。でもこれはリアルすぎてうまくいかない。

何とかして鳥人間を書こうとしたときに、「そうか、鳥なら島だ」と。海の上にある島は、鳥にいちばん似合う場所ですから、島に暮らす人の話にしたんです。そこで、長崎の国境離島の1つに的を絞りました。

 

―老いた母を本土の我が家に引き取ろうとやってきたイオの娘・ウミ子の視点から、離島暮らしの現実が描かれます。

週に一度しかない定期船。夏場の台風の激しさ。海上に迫る密漁船団の影。そのもろもろに立ち向かうのが老人と役場の若者であるという設定が興味をそそられます。

高齢者だけで暮らす島は実際にあって、生活のインフラを整えたり定期船を送ったりするのには、お金と手間がかかります。でも、たとえ少人数でもそこに人がいるという気配があれば、密漁者や密入国者は入ってこない。つまり彼女たちは、そこにいることで国境線を守っているんです。

―孤独死や侵入者の危険と脅威にさらされながらも、イオは娘の提案を頑として受け入れません。「わしは島に突き刺さった、生きた棒杭じゃ」と。

猫は人じゃなくて土地につくと言いますが、人間も同じじゃないかと思ったんです。暮らしていらっしゃる方は、きっとお墓を守っておられるんだと思う。

実際、取材に行ったときに見たんですが、ほとんど無人になった島でも、お墓だけは台風の当たらないいい場所にあって、きれいに手入れされているんです。どんなに遠くても、春と秋の彼岸とお盆には渡ってこられるんでしょう。長崎は、そういう心の美しさのある土地なんだなと感じました。

―過疎化の現状がシビアに提示される一方で、物語はそれを軽々と超える魅力をたたえています。そのひとつが、人は死んだら鳥になるというファンタジックな伝承。

遭難死したイオの夫やソメ子の弟は鳥になり、姿を変えながら島の周辺を飛び回っていると信じられていますが、厳しい暮らしが生み出した、鎮魂の作法のようにも映ります。

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海が時化て船が揺れたら、上も下もなくなり、海も空もわからなくなる。そうして、海に飛んだ人は海に沈み、空に飛んだ人は鳥になるんだろうと。人が鳥になるという伝説や物語は、世界中にありますよね。

歌舞伎にもなったヤマトタケルも、最後は鳥になって飛んでいくし。魂がいろんな鳥に「家移り」するというのは私の創作ですが、そういうこともあるんじゃないのかな、と。何千キロも飛ばなくてはならない渡り鳥じゃかわいそうかな、とか、鳥好きなので、いろいろと調べました。