上野千鶴子氏の東大スピーチ「納得と、それでも消えない疑問」

「弱者」とは、いったい何か?
御田寺 圭 プロフィール

「東大女子はモテない」への疑問

〈そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです〉(「祝辞」より引用)

東大男子はモテる、東大女子はモテない――おそらく、少なからぬ東大の新入生や在学生が「それはないよ」と感じた箇所がここではないだろうか。もちろん数千人もの東大生を、データもなしに十把一絡げにするのは不可能なことだが、私の観測範囲でいえば、「東大男子だから」という理由でモテている人物はあまり見たことがない(男子東大生諸君はどうか怒らないでほしい)。

それはともかく、ここで上野氏は「東大女子はモテない」ことの理由として「男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるから」、つまり簡単にいえば「勉強ができる女性は男性から敬遠される」ためであると言っている。

 

これは本当なのだろうか? 上野氏は6年前、次のように述べている。

〈エリート女の泣きどころは、エリート男しか愛せないってこと(笑)。男性評論家はよく、エリート女は家事労働してくれるハウスハスバンドを選べなんて簡単に言うけど、現実的じゃない〉(東洋経済オンライン「女を使えない企業が、世界で戦えますか? 上野千鶴子先生に聞く、日本企業と女の今」より引用)

日本の女性のあいだで、いわゆる「上昇婚志向」が根強く残っていることは、社会学の領域でも指摘され議論の対象になっている。「自分よりも収入や学歴が高い相手をパートナーにしたい」、裏を返せば「自分より格下の男とは付き合いたくない」という志向が、とくに女性にとってはパートナーシップ形成に強い影響を与えている可能性があるのだ。

事情はエリート女性でも同様だ。エリートならばこそ「専業主夫」なんて選べない、と上野氏は言う。本当に東大女子が「モテない」のだとすれば、やはりパートナーに「東大と同等以上の学歴」や「高い知性」「社会的ステータス」などを求めるケースが多いからである蓋然性は高い。

こうした議論は、さきほどの「女性医師の労働問題」にも関係してくる。「女性医師は出産や育児があるのだから、ハードな科を選ばなくても仕方ない。労働負荷については男性医師よりも配慮されてしかるべき」というのはこの問題で頻出してきた反論だが、ならば家庭にフルコミットしたいパートナーを選び、その人に育児や家事を任せる、という方法が浮上してもおかしくないはずだ。医師の経済力があればけっして不可能なことではないだろう。

しかし、種々のデータを参照しても、やはり「エリート女は、エリート男しか愛せない」ことが端的に示されている。上野氏が今回のスピーチで述べたことよりも、過去に上野氏が述べた「家事労働してくれるハウスハスバンドを選べなんて簡単に言うけど、現実的じゃない」という言葉のほうが実情に近いのだ(女性医師が男性医師と結婚している割合のデータは、DtoDコンシェルジュ「女性医師の結婚事情」などに詳しい。https://www.dtod.ne.jp/woman_work/article04.php

そもそも、女性差別を是正せんとする思想・運動の国内第一人者が、女性をいつまでも「包摂される側」「男性に求められる性」としての価値から(つまり「モテる/モテない」という側面から)云々すること自体おかしな話だ。

〈(恋愛弱者系/オタク系の男性について)ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい。そうすれば、ノイズ嫌いでめんどうくさがりやの男を、再生産しないですみますから。

ただし、そうなった場合、彼らの老後が不良債権化するかもしれませんね。ところが、彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。子どもって、コントロールできないノイズだから。ノイズ嫌いの親のもとに生まれてきた子どもにとっては受難ですよ。そう考えてみると、少子化はぜんぜんOKだと思います〉(上野千鶴子(共著)『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』p.434 より引用)

「これからは女性も男性もない、女性だって仕事をバリバリやってよく稼ぐ時代になったのだから、経済的・社会的に劣位の男性を養えばいいのだ」くらいのことを言ったほうが、まだ筋が通っているのではないか。しかしそう言わないのは、まさに上野氏自身が「エリート女の泣きどころは、エリート男しか愛せないってこと(笑)」という自説をいまだに肯定的にとらえ、女性の上昇婚志向を「パートナー選択の自由なのだから好きにすればよい」とみていることを示唆している。

自分と同等以上の「スペック」を持つ人間以外がパートナーシップ形成の対象外となってしまうのだとすれば、優秀になればなるほど「モテなくなる」のは当たり前である。