吉川英治『三国志』に、母子愛のくだりが組み込まれている理由

局アナが語る「三国志の日本史」④
箱崎 みどり プロフィール

評伝が小説の素材に

冒頭を中心にお話ししてきましたが、吉川『三国志』の特色は、末尾にも色濃く表れています。それが、孔明についてと、孔明の死後の歴史を語る「篇外余録」という章です。

 

例えば、諸葛菜について。以下のような逸話が紹介されています。

彼が、軍を移駐して、ある地点からある地点へ移動すると、かならず兵舎の構築とともに、附近の空閑地に蕪(蔓菁ともよぶ)の種を蒔かせたということだ。この蕪は、春夏秋冬、いつでも成育するし、土壌をえらばない特質もある。そしてその根から茎や葉まで生でも煮ても喰べられるという利便があるので、兵の軍糧副食物としては絶好の物だったらしい。

(略)

で、この蔓菁の播植は、諸所の地方民の日常食にも分布されて、今も蜀の江陵地方の民衆のあいだでは、この蕪のことを「諸葛菜」とよんで愛食されているという。

この諸葛菜についての記述は、従来吉川『三国志』のタネ本とされてきた『通俗三国志』、村上『三国志物語』などにはありません。次の、桓温の逸話も同じです。

蜀が魏に亡ぼされ、後また、その魏を征して桓温が成都に入った時代のことである。その頃、まだ百余歳の高齢を保って、劉禅帝時代の世の中を知っていた一老翁があった。

桓温は、老翁をよんで、
「おまえは、百余歳になるというが、そんな齢なら、諸葛孔明が生きていた頃を知っているわけだ。あの人を見たことがあるか」と、たずねた。
老翁は、誇るが如く答えた。

「はい、はい。ありますとも、わたくしがまだ若年の小吏の頃でしたが、よく覚えておりまする」
「そうか。では問うが、孔明というのは、いったいどんなふうな人だったな」
「さあ? ……」

訊かれると、老翁は困ったような顔をしているので、桓温が、同時代から現在までの英傑や偉人の名をいろいろ持ち出して、
「たとえば……誰みたいの人物か。誰と比較したら似ていると思うか」と、かさねて問うた。

すると、老翁は、
「わたくしの覚えている諸葛丞相は、べつだん誰ともちがった所はございません。けれども今、あなた様のいらっしゃる左右に見える大将方のように、そんなにお偉くは見えませんでした。ただ、丞相がおなくなりになってから後は、何となく、あんなお方はもうこの世にはいない気がするだけでございます」
と、いったということである。

これらは、従来言われてきた吉川『三国志』のタネ本に載っていないのですが、かと言って、ゼロから吉川英治が作ったものでもありません。

実は、連載第3回でお話しした、孔明の評伝に載っているのです。諸葛菜については、杉浦重剛・猪狩又蔵『諸葛亮』、太田熊藏『諸葛孔明傳』に、桓温の逸話は、杉浦・猪狩『諸葛亮』、中川重編『諸葛孔明』、宮川尚志『諸葛孔明』で紹介されています。

こうした逸話は、孔明像を多面的に描き人物像に厚みを与えるため、吉川が『三国志』の中に取り入れたものと考えられます。評伝が小説の素材として使われていたのです。

最も偉大なる平凡人

「篇外余録」には、作者が孔明を「偉大なる平凡人」と定義し、熱く語る部分があります。

だが、ここでもう一言、私見をゆるしてもらえるなら、私はやはりこう云いたい。仲達は天下の奇才だ、といったが、私は、偉大なる平凡人と称えたいのである。孔明ほど正直な人は少ない。律義実直である。

決して、孔子孟子のような聖賢の円満人でもなければ、奇矯なる快男児でもない。ただその平凡が世に多い平凡とちがって非常に大きいのである。

実はこの「偉大なる平凡人」というフレーズは、白河鯉洋『諸葛孔明』の小見出しとしても使われています。

白河『諸葛孔明』の「偉大なる平凡人」では、孔明は尋常平凡でありながら普通人と大小において差があるとします。孔明が謹慎・忠誠・儉素の三つを行ったとして、この三つがあれば十分ながら、それを備える者は少ないことから、孔明を最も偉大なる平凡人だと結論付けています。

吉川が『三国志』の末尾に置いた「偉大なる平凡人」だという孔明像は、白河『諸葛孔明』の記述に近く、その主張を簡単に紹介したものとも言えます。

また、白河が語る、“「三国志」は、曹操と孔明の闘争の歴史だ”という説も、吉川はしっかり踏襲しています。