ひろゆき氏の幸福論「自分を嫌いにならないで生きるには何が必要か?」
お金がなくても人生は楽しめる「幸せ」は考え方しだい
日本は今後人口も減ってくるわけですし、経済が悪化していく可能性が高いわけです。

そのときに、仕事しかない人生というのは、結構きつくなってくると思います。働いて稼いで、稼いだお金を休日に消費する、みたいなサイクルでお金を使い続ける人生から逃れられないと、かなり不利な戦いを強いられます。
お金を使わないでも楽しめる趣味が1つでもある人と、1つもない人とでは、ぜんぜん違ってくると思います。
たとえば休日が週に2日あるとして、休日を過ごすために1日に1万円使いますって人だったら、それだけで月に8万円飛ぶわけです。年間100万円。それを20年くらいやると2000万円ですよ!
たとえば、「ホテルのナイトプール、面白そうだから1回行ってみたい」というような、体験や知識にお金を使うのはいいと思います。
でもそれに何回も行ったとしても、新しく得られる何かはないですよ。1回分の金額に対して得られる幸せや知識は、どんどん減っていきます。そして、当然ながら、お金もどんどん減っていきます。
どうやって楽しく暮らすか? という心構えが少しあるだけで、割と人は楽しく暮らせたりします。すごいブサイクとかすごい貧乏に生まれたとしても、楽しそうな人っていますよね。
逆にそれなりに美人とか、それなりにお金持ちの家で暮らしているのに、不幸そうな人もいますよね。考え方次第なんです。
幸せを感じるかどうかは、きわめて主観的なもので、お金は基本的に関係ありません。ジンバブエに生まれた人とアメリカに生まれた人で、どれくらい幸せに差があるかというと、ほとんど変わらない。
ジンバブエは貨幣経済が破たんしたアフリカの国です。
欧米人が投資をして工場や農園を作っていたのですが、外国人の財産を強制的にはく奪するって法律を作って欧米人の投資家がいなくなり、農園や工場が運営できなくなって経済的に破たんしたので、ジンバブエドルがインフレしまくって、100兆ジンバブエドル紙幣とか出来たりしました。
生活レベルはアメリカのほうが高いので、幸せ度も連動する気がしますが、別に周りの人も自分と同じような状況なら……たとえば洗濯機持っていないとか、自動車持っていないとか、周りと同じ生活をしているなら、別に不幸を感じないんです。
そもそも江戸時代の人から見たら、今の人たちってものすごく豊かだと思うんですよ。ほとんどユートピアなんですけど、今の僕らにはここがユートピアだと認識できていないので、もっと上を目指そうとしますよね。
たぶん「満たされてるなあ」って大多数の人が思って、ダラダラと暮らすということにはならないんじゃないかなと思います。