2019.04.17
# 松尾文夫 # 日韓関係 # 日米同盟

天皇を「わが友」と呼んだジャーナリストがいた

決して冗談やレトリックではない
伊藤 智永 プロフィール

共鳴し合う理念

戦後半世紀を経てなお、あの戦争といかに向き合い、どうしたらけじめをつけられるのか。松尾さんの突きつめ方と実践に、天皇が戦後50年を機にまず広島、長崎、沖縄を再訪し、戦後60年からは北マリアナ諸島・サイパン島、70年にパラオ・ペリリュー島、翌年にフィリピンと海外慰霊の旅を続けた行動と通じ合うものが見えてこないだろうか。

松尾さんは天皇との関係を語らなかった。天皇も松尾さんとの交友を語ったことはない。それでも二人が時期を同じくして、同じ理念の下、同じ営為を続けたのは、全くの偶然とは考えにくい。

たとえ言っていることが抽象的・観念的なようでも、いやむしろ、だからこそ私は松尾さんの考えに共感した。新聞の自分のコラムで紹介し、自分が責任者だった毎日新聞の大型通年連載企画で、松尾さんのドレスデンへの旅と戦後和解の考え方を大きく特集した。松尾さんの主張を日本の新聞で紹介した一番早い記事だったと自負している。

 

予想通り、外務省は冷笑的だった。むしろ、陰では妨害すらしていた。駐日米大使館は本国に大統領の広島訪問を勧める公電を発信していたが、外務省は外交の相互主義で迫られる首相の真珠湾訪問に対し、日本国内の右翼から噴き出るであろう反対を恐れ、米国に大統領の広島訪問は時期尚早と「待った」を掛けていた。

ベテラン外交記者の松尾さんは外務省高官OBにも人脈を持っている。政治記者の私に、官邸主導の首脳外交について方針や内情をしばしば尋ねてくるようになった。出会いのきっかけはどこへやら、いつしか世代を超えた記者同士、情報交換と互いの記事を送り合い、批評し、励まし合う関係になった。

2016年、オバマ米大統領と安倍晋三首相による日米首脳の広島・真珠湾相互献花が10年越しで実現した時も、私は自分の新聞コラム「時の在りか」を「第一提唱者」である松尾さんの感慨から書き起こした。松尾さんは翌年、献花実現と旺盛な記者精神を称えられ、日本記者クラブ賞を受賞した。

今にして思えば、松尾さんのご厚意に甘え、随分長い間、他にはない奇特な縁を結んで頂いた。

いつも松尾さんに誘われて、何度も東京・有楽町の外国人記者クラブで他のゲストを交えて会食したり、麻布十番の居酒屋や新宿ゴールデン街で飲んだ。夜型の松尾さんは2、3カ月おきに深夜「いやあ、どうも、元気」と電話を掛けてきて、そのたびに長話に興じた。決して偉ぶらず、いつも快活で公平な態度の変わらない人だった。いつだったか、人伝てに学習院出身の松尾さんと天皇の深い関係を聞き知っていたが、あえて話題にしなかった。

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