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天皇を「わが友」と呼んだジャーナリストがいた

決して冗談やレトリックではない
平成の天皇を「わが友」と呼ぶ無二のジャーナリストが今年2月、アメリカ滞在中に客死した。二人の篤く密やかな友情と、とりわけ先の戦争との向き合い方において共鳴し合う理念について、自身親交の深かった『「平成の天皇」論』の著者・伊藤智永氏が万感とともに記す。

天皇の「隠れた盟友」、逝く

天皇陛下を「わが友」と呼べる人が日本、いや世界中にいるだろうか。

一人いた。決して冗談やレトリックではない。終生、本当の親友だったからだ。元共同通信ワシントン支局長の松尾文夫さん。米国大統領の広島訪問と日本の首相の真珠湾訪問という「献花外交」を提唱し続け、ついに実現させた功績で知られる。現役のジャーナリストとして今年2月、取材と講演のため訪れた米国で客死した。享年85。

「日本は真の戦後和解を成し遂げなければならない」という松尾さんの信念は、在位の後半を戦没者慰霊に捧げてきた平成の天皇の行動と重なる。

3年前、退位を表明した天皇の真意について、松尾さんは「今の天皇は、自分がやってきたことは間違っていなかったという達成感を持っている」と語っていた。在位の終わりに合わせたかのような松尾さんの死は、天皇の思想や歴史観を支えた「隠れた盟友」が密かな使命を成し遂げた末の旅立ちを思わせる。

昭和史に特筆される家系

かれこれ10年以上前、私が親子以上に歳の離れた松尾さんの知遇を得たのは、天皇のご学友だからではない。初めはそうだと知らなかった。というより、その後も松尾さんは自分が天皇の学友であると自分から話したことは一度もない。特別な立場をひけらかさない慎みが、天皇に信頼された理由の一つである。

当時、私は靖国神社のA級戦犯合祀のいきさつを追っていた。靖国は、国が戦死者名簿(祭神名票)を送ってきたから祭ったと説明している。戦後、旧厚生省引揚援護局から靖国に大量の名簿を送った「黒幕」がいた。敗戦時、無条件降伏の責任を取って割腹自決した阿南惟幾陸軍大臣の高級副官(旧陸軍省「官房長」相当)・美山要蔵大佐である。

何を考え、どんな人物だったのか。証言や資料を求めて陸軍士官学校35期生の遺族たちを探し歩いた。

松尾さんの父親は、美山と同期の松尾新一大佐だったのだ。美山の伝記は『奇をてらわず 陸軍省高級副官 美山要蔵の昭和』(講談社、2009年)にまとめた。今は『靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男』(講談社+α文庫、2016年)と改題されているので、そちらでお読みください。

ちなみに松尾さんの祖父は、2・26事件で首相官邸が襲撃された際、岡田啓介首相の身代わりとなって反乱部隊に射殺された首相秘書官の松尾伝蔵陸軍大佐。父親の妹に当たる叔母は、大本営作戦参謀で戦後政財界のブレーンだった瀬島隆三の妻。つまり松尾さんは、昭和史に特筆される家系に連なる人だった。「自宅に受話器を取れば、そのまま首相官邸につながる黒電話があった」と聞いたことがある。