内田篤人は「チャンスをモノにする力」をこうして身に着けた

『悲痛と希望の3144日』
了戒 美子

22歳が持ち合わせた二つの武器

とはいえ、なぜ内田はこの“いきなりスタメン”にビビらず、チャンスに変えることができたのか。

一つには、綿密な準備があったはずだ。その年の6月に行われた南アフリカW杯で、内田は直前まで新世代のスターという扱いだった。スタメンの11人に数えられていたし、プレーだけでなく、フォトジェニックなことも魅力の一つで大手家電メーカーのド派手なCMにも起用されていた。内田への期待感は、今の“若手三銃士”と呼ばれる堂安律、南野拓実、中島翔哉へのそれとは比べ物にならなかった。

だが、W杯本番直前にスタメンから外され辛酸を舐めた。南ア当時の様子については、過去にナンバーウェブの取材で川崎フロンターレの中村憲剛が詳しく語ってくれたことがある。メンタルは腐りかけ、悪態をつくような状態だったそうだ。中村は内田に不満を吐き出させた。このことで内田と中村の間には信頼関係が生まれ、内田は岐路に立った時に中村にアドバイスを求めたこともあるそうだ。

このW杯で辛酸を舐めたことから、南アから帰国後、ドイツでのデビューを見据え激しく個人的にトレーニングを行った。

もしも南アで内田個人も好成績を残していたら、また違ったかもしれない。だが逆境を跳ね返すためにも、この時の個人トレーニングがドイツでのスタートダッシュにつながったことは間違いない。徹底的な準備だけが本番での結果につながるのだ。

二つ目は、ずぶといメンタル、シンプルな思考だろう。「うーん、別に。普通」というコメントからもわかる通り、あまり、余計なことを考えていないとでも言おうか、内田にとっては淡々と目の前の課題をクリアすることが必要であり、それ以外の条件はさほどこだわるべきことではないようなのだ。徹底した準備をして、相応の結果を引き寄せたわりにあっさりしているのである。

多少条件が悪かろうが、時差ボケがあろうがその場で尽くせるベストを尽くすことこそ大事なようだ。

「頑張りどきみたいな言い方がオレは好きじゃなくて。いつでも頑張るときでしょ」などと話すことがある。いろいろ考えすぎずに図太く、シンプルに、淡々と。各種条件に踊らされがちな私からすると、身につまされる思いである。

 

アントラーズのレジェンドも太鼓判

鹿島アントラーズの先輩である小笠原満男(現鹿島アカデミーアドバイザー)にも、拙著のための取材を行っているが、この“いきなりスタメン”のエピソードを伝えると感嘆していた。

「なんだかんだ言って、(スタメン争いの)勝負はピッチの上だからね。普通だったら『え、いきなり試合か』って驚くと思う。スタメン起用は信頼(の証)といえば信頼だけど、ダメならそこから一気に使われなくなるからね。ポジションをそれでとったわけでしょ、あいつの実力だよ」

小笠原は、主将の座を内田に譲り昨季終了と同時に引退。内田にとっては偉大な大先輩であり、小笠原から見ても逞しい後輩、という関係性だ。その小笠原が、現在鹿島でコーチ兼テクニカルディレクターであるサッカーの神様ジーコの言葉を引きながら話す。

「チャンスなんて何回も転がってこないわけで、もしそこでダメだったら今のアツトはなかったかもしれない。チャンスってそんなもんなんだよね。ジーコもよく言うんだけど、『チャンスはいつどこでくるかわからない。自分のタイミングでほとんどこない。急に誰かが怪我とか出場停止とか、チームの勝敗で、今? っていう、自分のタイミングじゃないときにくることがほとんどだから、常に準備しとけ』って。

でも、アツトの場合それがいきなり最初だったわけでしょ? それを掴んだのもあいつの実力ですよ。大抵の人が『準備できなかった』で終わっちゃうのに。それも能力だよ、あいつの」

驚いた、感心したといわんばかりの様子で小笠原はそう話した。

渡独翌日の、最初の試練をチャンスに変えたこと。これが、7年半にわたるドイツでの活躍につながるのだ。その背景にあった、日々の準備と、図太いメンタル、シンプルな思考こそが、試練と表裏一体のチャンスを引き寄せることができる鍵だった。そう断言して良いかもしれない。