1年半後の「診断」

運転していた時の強い痛みが気になって、翌日、右手首を曲げてみるが、痛みはまったくない。1週間経っても、2週間経っても何も感じなかった。ヨットでうっかり痛めたのかもしれない。神経質になりすぎたと自らに言い聞かせ、一時的な痛みだったと信じた。

2ヵ月経った頃、仕事から帰って家のドアノブを持った瞬間、キーンと痛みが右手首に走った。まさにあの痛みだった。忘れたころにやってきた。

私はリウマチに違いないと確信した。すぐに専門医を紹介してもらい、病院で血液検査した。結果が出るのに1週間かかる。医者は問診をし、1週間後に予約をとった。50代半ばの医者はずっと無表情だった。

血液検査ではリウマチ反応が出なかった。

医者に「自覚症状があるんですよ。この痛みには原因があり、それをつきとめて、治したいのです。母もリウマチなので、その可能性は高いと思っています」と詰め寄っても、「血液検査に異常は見られません。ですから、治療することはできません。様子を見ましょう」としか返事がない。

それからは1ヵ月に1回、短い時は2週間に1回ぐらい痛みを感じるようになり、私は「リウマチ」だと思わずにはいられなかった。

痛みがあるのに、半年後の血液検査も陰性。1年後も同じ。私は早く手を打たないと母と同じ状態になると焦った。まだ20代前半の私にはやりたいことがたくさんある。リウマチでその可能性を失いたくなかった。

1年半が過ぎた頃、血液検査に行くと「リウマチです」と机のカルテを見たまま、目を合わせず医者が言った。リウマチの権威と紹介されたこの医者は、多くの患者を診てきたはずである。

「最初からリウマチだと思っていました。この1年半、私はただ立派なリウマチになるのを待っていたのですね」と言ってしまった。母と同じ道をたどる……と想像せずにはいられなかった。

太く短く生きるしかない

抗リウマチ剤と痛み止めが処方され、1ヵ月に1回血液検査をするように指示された。薬を飲んで治るのなら、母はとっくに治ったはずだ。透析だけでなく、金製剤のシオゾールの副作用で肺線維症になって、呼吸困難で苦しんだ。肺線維症の手術を提案され、治りたい一心の母は手術を受けると言ってきかない。繊維状になった肺を確認しただけのような手術だと思えてならなかった。

元気になるのなら、つらさにも痛みにも耐えるのが患者の心理である。そのような母をずっと見てきた私には、治る希望が持てなかった

私は医者からステロイド剤を集中的に使いたいと言われた時、母が苦しんだので使わないと断った。抗リウマチ剤は開発されていい薬があると説明され、それならばと飲むことにした。

この時、私は母の轍は踏まない。「太く短く」生きるしかないと覚悟を決めた。