中学1年のときの出来事

私が中学1年生の時、治療して帰宅する駅での出来事は忘れられない。

駅の車寄せでタクシーを降り、母と私は腕を組んで改札口に向かってゆっくり歩く。駅の階段をプラットホームへ一段一段のぼって行く。まだエレベーターもエスカレーターもなかった。行き交う人が心配そうに見ていく。

母は踊り場に座って休むと言い出した。座ると立ち上がるのに20分も30分もかかってしまうから、母の気持ちはわかるが、説得し、励まして一気にのぼることにした。休むと動けないのは母が一番わかっている。母はロボットのように直線的な動きで、顔をしかめながらのぼった。それでも「痛い」とは言わない。

春の肌寒い日だが、母の洋服は汗で湿っていた。私たちは、何の会話もなく黙々と、一段ずつ階段をのぼった。ホームに着き、椅子がある場所まで行こうとした。

「あのね、トイレに行きたいの」と母。私はホームにトイレがあるのかという不安に襲われた。これ以上、無駄に母を歩かせるわけにはいかない。ホームのずっと向こうに駅員さんらしき姿が見えた。私はその人に向かって走った。途中で振り返ると、母は身体を丸め、じっと立っていた。

エレベーターもエスカレータもない駅が多かった時代。多くの人が行きかう中、中学1年生だった小西さんは母を支えようとした Photo by iStock

駅員さんが母の様子を見かねて、ほかの駅員に車椅子を持ってくるように頼んでくれた。母を車椅子に乗せ、トイレに行った。これで安心と思ったが甘かった。

トイレは和式である。座ると立てないのに、和式なのかとトイレを恨めしく眺めた。大人の男の人が両脇を抱えればすぐに立てるが、私では無理である。トイレに行きたかった母は、何も言わずに入って行った。ドアの前で「大丈夫?」と聞くと、「時間かかるけど大丈夫」と、その言葉は力強かった。予想より早く、10分ぐらいで立ちあがった。おそらく座っているのも、立つのと同じくらいつらかったのだろう。

車椅子でホームの真ん中まで行った。駅員さんはとても親切で、降りる駅に連絡してくれた。早く車椅子に気がつけばよかった。母に大変な思いをさせてしまったと後悔した。こんな経験は初めてだったので、車椅子まで気が回らなかった。座席まで車椅子で行って座わり、丁寧に駅員さんにお礼を言って別れた。母と私は顔を見合わせて笑った。とてつもなく大変で長い時間だった。

料理を作る時も変形した痛い手では、包丁をしっかり握れない。包丁の先端に左手を添え、右手で持ち手を握る。まな板と並行するように包丁を使って乱切りのように大きく切ることしかできない。何を行うにもつらく不便なだけではなく、時間がかかる。

リウマチは遺伝しないと言われているが、体質が似ていたり、生活習慣が同じだったりするから、私も発病する可能性が高い。母も「あなたに出ないことを祈っているの」と心配していた。

母の病状を長年見ていたので、痛み=リウマチとしか思えなかった。