「コスパ」という言葉がバカらしくなる「伝説のコの字酒場」を訪問

ロビンソン酒場を往く④
加藤 ジャンプ プロフィール

コスパという言葉の陳腐さを知る

素人が「コスパ」を連呼する時代にあって、これは決して、そんなマーケティング的な産物ではないのである。「コスパ」なる思考が、「この値段なら、このくらいのモノを出しておけば売れる」という、最終的には利益の追求であるのに対し、中村屋は、愚直なほどに「旨い」を追求している。その結果なのである。

だから、エビフライは2本で1000円ではなく、どうしても3本で1500円なのである。3本が互いに支えあって、まるで櫓のように皿の上でそびえ立つ、堂々たる極太のエビフライだからこそ、視覚的にも旨さを倍加させるわけで、そこは価格のために妥協しない。

もちろん合理化も行き届いている。そもそも、店を仕切るのに便利なコの字酒場(の定義などについては拙著『コの字酒場はワンダーランド』などを是非)である。コの字型カウンターは屋台にもルーツがあるように、少人数で細かなオーダーを仕切るのに適している形だ。

また、コの字型カウンターが、店の軸、要の役割を果たしていて、そこにいつもスタッフがいることになり、周りのテーブル席や小上がりからのさまざまな注文にもこたえやすい。だからこそ、満員になれば30名以上入れるハコながら、3、4名で仕切ることができる。

しかも、時折、カウンター内が交代するときも、往年のロベルト・カルロスがディフェンダーながら、素知らぬ顔でいつの間にかゴール前にいたかように、まったく違和感なくスムーズにスタッフが入れ替わるのである。これが、店の中の空気を変えることなく、ずっと活気を維持することに資している。

 

食べた分、飲んだ分だけ

また、途中で皿を下げないのも中村屋の面白さである。こうしておけば、伝票の内容の証拠が残るわけで、計算は絶対に間違わない。万が一、泥酔して勘定にいちゃもんをつけるような者がいたとしても(もちろん、中村屋にはそんな客は来ないが)問題がおこらない。

割ものの炭酸のボトルも同様に卓上に残される。この様式には、ほかにも大事な効果があって、こうすると、客は自分の飲んだ量、食べた量を容易に認識できる。「飲食代の可視化」である。

可視化といえば、そのビジュアル面でいえば、中村屋の佇まいは驚くほど静かである。というのは、看板の灯りもついておらず、ガラス格子の引き戸にはガムテープが貼られていたりして、一瞬、開店していないと錯覚する人もいるような、ひそやかな佇まいなのだ。

しかし、実は、これが、この店の満足度に大いに貢献している。声高に客を呼びこまず、些かにエクスクルーシブな雰囲気が漂うからこそ(実際にはすこぶる開放的なのだが)、泥酔した者や、「名物だけ食べて写真撮って帰る」ような者を拒み、腰の座った手練れの飲兵衛や良心的酔狂な者のみを、セレクトする役割をはたしている。

そして、この孤高の佇まいの店で飲めたという事実は、間違いなく、客に、ある種の達成感を与える。

去り際に、腰合さんが「俺、酔っ払いがきらいなんだよ」と笑った。酒場の味の求道者の言葉に、はっと目が覚める思いがした。たしかに「酔いたいが、酔っ払いにはなりたくない」とうなずいた。

新小岩徒歩30分、中村屋。創業半世紀以上(腰合さん曰く「おぼえてねえなあ」)。ただ旨いを追い求めるロビンソン酒場は、店主の哲学にすみずみまで浸透していて、飲んだ者をほんのすこしだけ哲学者にしてくれるのである。

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