「コスパ」という言葉がバカらしくなる「伝説のコの字酒場」を訪問

ロビンソン酒場を往く④
加藤 ジャンプ プロフィール

町工場と住宅の密集地帯

ただ、今よりも職住接近のコンセプトは人々にしみついていたようで、こうした住宅の入りはそこそこだったらしい。だから、中村屋がここにあるのは、戦前からの住み着いた中産階級の人々を狙ったもの、というのではない。それよりも、近辺で目立つのは町工場(と呼ぶにはかなり大きい規模のものもある)と住宅である。

工場は戦前からあり、20回の空襲があった。そして東京大空襲では、ほぼ一面消失した。街行く古老に尋ねたら、今でも、「500軒はあるよ」という町工場は、たしかに中村屋にとっても大きな成功の要因ではあるのだろうーー。

と、思ったら、そうでもないのである。中村屋は、一つの哲学で他のすべての要素を牽引する酒場なのである。店主の越合八郎さんは、こう言うのである。

「商売ってのは場所なんて関係ないの。大事なのは、旨くなかったら虫も寄りつかないってことなのよ」

 

さて、とにもかくにも店につき、件の引き戸を開けると、パッと開けるのは長いコの字型のカウンターである。これがただでさえ奥行きのある店内に、視覚的な広がりをあたえている。この開放感は、飲みにきた客に、特別な安堵を与えていることは間違いない。

そして、注文すれば、これが、どれも、すばらしい味とそしてサイズなのである。ちなみに、その夜中注文したのは、エビフライ、アジフライ、マグロブツ、生野菜(つまりサラダ)、もろきゅう、である。

揃いもそろって、旨い。特級に旨いのである。

格別に旨いものを山盛りで出す

エビフライは、直径は極太の100円玉大で、長さは15センチほど。無論、衣は薄い。見事に尻尾までカラリと揚がっているのが、なんと3本も盛られている。

一口かじれば、薄い衣はサクリと音をたて、すぐに身の詰まったコシのある(とあえて言いたいほどに、歯ごたえのある、実に歯ざわりのいいエビ)身から、かすかな甘みをもったエビのエキスがあふれだすではないか。

ちなみに、卓上デフォルトのソースは東京らしく中濃である。

ソース好きとしてはウスターが欲しいなどと野暮な考えも脳裏をよぎるが、ここで、このエビフライに中濃ソースをかけ、添えられたレモンをたっぷり絞ると、ソースの甘みとレモンの酸味があわさって、エビフライの衣のテクスチャーと旨味とをさらに引き出すことに気づかされる。

アジフライも同様に、こんなに、ふくよかなアジをこれも名人芸と呼ぶべきすばらしい薄ゴロモで仕上げていて、心が踊らないものはいまい。マグロブツもしかり。良き部位を、ほんとうにぶった切って、山盛りにしている。

マグロは頂点捕食者だが、それを食う人の凄まじさをあらためて認識する。もろきゅうは、そのてり具合も美しく、生野菜もまた山盛り。そして、これも、例外なく、皿を舐めたかのように綺麗に平らげてしまえるおいしさである。

それもこれも、越合さんのいう「旨くなかったら虫も寄りつかない」によるものなのである。つまり「旨いものを出す」この一点を、なによりも優先させてきたからこそ、この場所で、長く愛されているのである。

たしかに、たとえば、価格は味を最優先している。決して安いばかりではない。エビフライは一皿1500円である。店構えは、一見、いわゆる「せんべろ」ながら、その価格は「せんべろ」などではない。しかし、逆に言えば、このエビフライ(のみならず、いずれの肴も)、その価格とは到底思えない質を持している。

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