中村屋のエビフライ

「コスパ」という言葉がバカらしくなる「伝説のコの字酒場」を訪問

ロビンソン酒場を往く④

もはや伝説となりつつある「酒場の中の酒場」

この店はすでに伝説といっていいだろう。名前を知っているけれど行ったことがない酒場、というジャンルのランキングあれば上位は確実である。それを、ミュージシャンにたとえるなら、異論は噴出するだろうが、たとえばヴァン・ダイク・パークスだろうか。

大学生になるまでヴァン・ダイク・パークスのアルバム「ソングサイクル」を聴いたことがなかったが、ヴァン・ダイク・パークスが「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれているのなら、「酒場の中の酒場」の称号がふさわしい。

それが、新小岩というか小岩というか、とにかく江戸川区中央にある中村屋である。

なぜ、その場所をかように曖昧に記すかといえば、そこが非常に複雑な地理的な特徴をあわせもった土地だからである。そして、地図を見れば明らか、歩けば納得する、“ロビンソン酒場”なのである。なにしろ、最寄駅から徒歩30分程度かかる。飲みに行くだけで、旅だ。

今一度、ロビンソン酒場について説明すれば、それは、駅や繁華街から遠いのに長く繁盛している酒場のことである。もちろん架空漂流記、ロビンソン・クルーソーをもじったものである。

ロビンソン・クルーソーの物語には、あまり知られていないがパート2とパート3がある。ちなみにロビンソン酒場はというと、そんな風に、支店を増やしていることはほとんどない。一箇所に、根を下ろしている。

さて、最初からその場所について、判然としないような書き方をしたが、中村屋の駅は、おそらく新小岩である。おそらく、としたのは、家から駅、さらには徒歩の時間をあわせて考えてれば、人によっては、小岩や京成小岩のほうが早い、という人もあるかもしれないからである。それだけ、鉄道網との連絡の埒外にある。

(ちなみに、酒場好きの間で、小岩はリトルロック、新小岩はニューリトルロックなんて呼称もひそかに通っている。赤羽をレッドウィングと呼ぶのと同じで、こういう呼び方をすると、特に昼にこれらの街に出かけて飲むときに、ちょっと目をくらませることができる、気がするのである)

さて、そういう場所にあるが、中村屋は、ずっと人気だ。なにしろ、旨い。心地いい。

新小岩は、総武線快速が止まる駅である。となりの小岩には総武線の各駅しか止まらない。そして新小岩の駅周辺は葛飾郡だが、小岩は江戸川区である。

 

江戸川区の真ん中には駅がない

江戸川区の行政の中心である江戸川区役所の最寄りは、やはり新小岩駅だが、徒歩15分ほどかかる。区役所は江戸川区の中央にあり、その住所も「中央」である。地理的にだいたい中央に位置しているが(正確には、真ん中はもうすこし北西)、23区内で最寄駅からの距離が最も遠い区役所だといわれている。

そして、中村屋も、この「中央」エリアにある。しかし、江戸川区役所が新小岩から徒歩15分位程度なら、中村屋までは30分。中央エリアもそこそこ広いのである。

新小岩駅を降りて、十(数)年ぶりに、中村屋を目指す。この駅のちかくに、かつて米軍機が墜落したことがある。住宅密集地での事故で大きな火災がおこった。

はたして、その頃と今が、どれほど変わったのだろうか。変わるべきものが、この国ではそのままになっていることが、随分多い。あまつさえ、変わってはいけないものを変えたがる人が元気いっぱいだったりする。歴史は、ずっとシニカルな笑みを浮かべたきりだ。

このあたりは平坦なところが多い。近くには江戸川が流れ、この川が何度となく氾濫した、いわゆる氾濫低地であることは歩けばすぐにもわかる。それでも、徒歩30分は長い。バスを使えばよかったか、と若干後悔する。

さて、中村屋の最も近い、歩いてほんのわずかにあるバス停は「同潤会」という。同潤会とは、関東大震災の復興を目的に住宅の供給をおこなっていた法人である。表参道にあった同潤会アパートは同会の作ったアパートの一つである。

だが、同潤会はアパートだけではなく、仮住宅(今で言う仮設住宅)や普通住宅という小型の住宅なども作っていた。中村屋から徒歩数分のところにあった同潤会松江普通住宅には共同の食堂などもあった。郊外(このあたりは有数の畑作地帯。特産物は小松菜である)から都心へ通うというライフスタイルの提案もしていた。