岩崎夏海が「ドラッカーの聖地」で明かした『もしドラ』秘話

大ベストセラー著者に「ドラッカー自伝」翻訳者・牧野洋が聞いた [前編]
牧野 洋 プロフィール

牧野 実を言うと、ドラッカーはロックウェルとも間接的につながっています。アメリカへ移住した直後の1930年代後半、ドラッカーはフリーランスのジャーナリストとして新聞社や雑誌社に自分の原稿を売り込んでいました。

 最初にドラッカーの記事を定期掲載してくれるようになった雑誌が、当時アメリカ最大の発行部数を誇っていた週刊誌「サタデー・イブニング・ポスト」でした。

 同誌とロックウェルは切っても切り離せません。何しろ、1916年から50年近くにわたって同誌の表紙を飾っていたのは、ロックウェルのイラストだったのです。

 ドラッカーにインタビューした時、「サタデー・イブニング・ポストは原稿料を弾んでくれるので、生活費が足りない私にとってありがたかった」と回想していました。

岩崎 そうなんですか。同じ雑誌向けにロックウェルはイラストを描き、ドラッカーは原稿を書いて生活費にしていたんですね。しかも同じ時期に。

ビジネスウィークでも取り上げられた『もしドラ』

牧野 岩崎さんの訪米中、世界中にあるドラッカー学会の代表者がクレアモントに集まり、年次総会を開いています。世界中のドラッカーファンがクレアモントで一堂に会しているわけです。

 そのなかで、日本語版しかないにもかかわらず、『もしドラ』への関心が高いようですね。ドラッカーの生まれ故郷であるオーストリアのドラッカー学会代表者も「ぜひミスター・イワサキに会いたい」と言っています。

岩崎 世界から注目されるのは、不思議な感じがします。日本語版しかないですが、ドラッカー研究所のリック・ワーツマン所長が有力誌「ビジネスウイーク」オンライン版上で『もしドラ』についての記事を書いてくれました。それも影響して、アメリカやヨーロッパの方々も関心を寄せ始めたのかもしれません。

以降 後編 へ。