photo by istock
# 人工透析 # 医療費 # 臓器移植

日本はなぜ、いつから「透析大国」になったのか

なぜ人工透析だけが招かれざる客なのか

人工透析中止の衝撃

2019年3月7日、医師が治療の選択肢の1つに人工透析の中止を提示し、患者が透析の中止を選択し死亡したというニュースが流れた。これまでにも、患者たちに透析中止の選択肢を提示しており、透析の中止あるいは非導入を選択し死亡している人が何人もいるという。

報道を通して知る限りでは、「自己決定」や「終末期」などの言葉が飛び交い、日本の高齢化を憂慮する風潮が透析医療にも反映していることが窺える。

人工透析は延命手段か

人工透析に対する批判は今に始まったことではない。この技術を巡っては、もう長いこと論争が続いているが、理解に苦しむことがある。たとえば、人工透析が延命手段だとされている点。

そもそも、腎移植・人工透析・腹膜透析は、腎不全で死ぬしかなかった人々に対して生命を救う手段として登場した医療技術だ。腎不全の状態になれば、いずれかの技術を利用しなければ生存ができない。

いずれの技術も、自分の腎臓を治すものではない。代替しているのだ。1つは他人の腎臓で、1つは人工の腎臓で、残りの1つは自分の腹膜で、腎臓の機能を代行しているのである。自分の腎臓を治すものではないという点では、3つの技術は同じだ。だから、人工透析を延命手段だとみなすのであれば、腎移植も腹膜透析も延命手段ということになるはずだ。

しかし、人工透析のみを取り上げ、延命手段だと言う。そこを区別する基準は何なのか、分からない。区別する明確な基準があるのなら知りたいと思う。

それから、透析が主流であることへの批判。これは、移植や医療費の観点から語られる場合が少なくない。

「人工透析にはお金がかかり、それを受けている人が多いから医療費がかかる」、「人工透析を受ける人が多いために腎移植や腹膜透析を選ぶ人が少ない」など。

だが、この場合、3つの技術の最適な比率というのが明らかにされているのだろうか。あるいは、効率を重視して腎移植を主流にすることは、果たして実現可能なことだろうか。よく分からない。これらの議論の着地点が見えないのだ。


確かに日本は「透析大国」だ。そこには「透析大国」になるだけの経緯があった。今ではこのことが語られることはほとんどない。知らない人もいる。議論の前に、まずはこのことを知っておいてよいと思う。