写真提供/加山徹(以下同)

「若大将の息子」が、加山姓を継ぐことを決意するまでの葛藤を明かす

きっかけは、光進丸火災沈没事件だった

加山徹(かやまてつ)、43歳、俳優。

映画「若大将」シリーズや『赤ひげ』『椿三十郎』といった黒澤明監督作品で知られる俳優であり、『君といつまでも』『サライ』を始め、多くのヒット曲を世に送り出したミュージシャンでもある加山雄三の次男である。

慶應義塾大学在学中の19歳のときにデビューして以来、23年間、山下徹大(やましたてつお)の芸名で、『踊る大捜査線』『プライド』(フジテレビ系)、『相棒』(テレビ朝日系)など多くのドラマ、映画に出演してきたが、今年1月18日、父の芸名である加山の姓を継ぎ、改名することを発表した。

そもそも、なぜ彼は、本名の池端でも、父の芸名の加山でもない、山下姓を芸名にしてデビューしたのか。そして、なぜ今、23年間、慣れ親しんできた芸名を捨てて、改名したのだろうか。

その背景には、大スター加山雄三の息子として生まれたことへの葛藤と克服のドラマがあった――。

 

小学校低学年で味わった恐怖

「まだ小学校低学年の頃です。学校帰りの電車の中で、友だちの1人が私をからかって、『こいつ、加山雄三の息子なんだぜ』と大声で言ったことがあったんです。その瞬間、その車両に乗っていた人全員がバッとこっちを見て、空気が凍りついたようになった。そのときの恐怖、居心地の悪さは幼心に深く突き刺さりました。そのとき以来、周りから、加山雄三の息子として扱われることに抵抗感を抱くようになりました」

家庭では、母の元女優・松本めぐみさんのポリシーにより、「スターなのは父親であり、その子どもである自分たちは特別な存在ではない」というしつけが徹底されていた。家族旅行で飛行機に乗るときも、両親はファーストクラスで、子どもたちはエコノミークラスだった。「もしファーストクラスに乗りたかったら、自分の力で乗れるようになりなさい」というのが、母めぐみさんの方針だった。

そんな環境ですくすくと育った徹にとって、自分が自分自身ではなく、「加山雄三の息子」というレッテルで見られることに強い嫌悪感を持ったのは想像に難くない。

ニューヨーク、シカゴ、東京、那覇など、何度もフルマラソンを完走しているランナーでもある。

そんな徹が、ひょんなことから俳優としてデビューすることになる。

「親父にとって一番大切なのは音楽であって、ぶっちゃけ言うと芝居はあまり好きじゃなかったようです。でも、僕は高校生になる頃から、演じることに興味が湧いていました。

1992年、親父が日本テレビの『24時間テレビ』でテーマソングの『サライ』を作ったときに、ゲスト出演したアート・ガーファンクルが見たくて、募金を持って武道館へ行ったんですが、それを見かけたディレクターの方が、『ドラマに出てみないか』と親父の事務所に連絡をくれたんです。

興味があることは誰にも言ってなかったから、親父は『やらないだろ』って言ったんですが、『いや、やってみたい』と答えると、『うそだろ、おまえ、本気か!』って驚いてましたね」

とんとん拍子にデビューが決まるが、徹は父との関係がまったく見えない芸名にすることにこだわった。

「山下という芸名にこだわりがあったわけではないんですが、加山にするのは絶対いやだったんです。

父のことは大好きで尊敬していました。反発するような気持ちは一切なかったんですが、小さい頃から、加山雄三の息子というレッテルで見られて、自分自身が消えてしまうような感じがいやで、それが、芸能界に入ってからも続くことには抵抗がありました。

小さい頃からとにかく父が大好きだった。だからゆえに、父を利用して新しい世界へ踏み出すことに抵抗があった

芸能人の子どもで、二世であることをメリットととらえられる人もいると思うけど、自分の場合は、やはり小学生のときに電車のなかで味わったあの恐怖感のほうが大きかった。

スターの息子であることで、まちがいなくいろんなことで特別扱いされて、メリットもたくさんあったことは自覚していましたが、親父の名前に頼らず自分の力で勝負してやるっていうつっぱる気持ちが強かったですね」