GAFA帝国への抗い デジタル・プラットフォームの未来を問い直す

無茶ぶりエッセイ お題は「必要悪」!
水越 伸 プロフィール

GAFA帝国の臣民としての私たち

私は資本主義社会においてメディア企業、プラットフォーム企業がお金を稼ぐこと自体を否定してはならないと思う。

広告収入は商業主義を招き、ユーザー情報の収集分析はプライバシー侵害であるといった、一刀両断の言い回しにはすぐには与(くみ)しない。小規模ラジオ局が地元の焼き肉屋さんや床屋さんの広告で収入を上げることは商業主義なのか、参加者主体で同じ参加者のユーザー情報の収集分析をおこなって運営されるコミュニティ型のSNSはプライバシー侵害をしているといえるのか。

ラジオにもSNSにも多様な収益システムと経営のしかたがあり、その可能性を育むためにも一刀両断は禁物だと考えている。

しかし、あるメディア企業やプラットフォーム企業がなんのために社会に存在するのかを考えた場合、収益だけを追求することは本末転倒となる。金もうけに血道を上げると、もともとの事業自体がダメになるということもありえる。

GAFA(Google、apple、facebook、amazon)やFANG(facebook、amazon、Netflix、Google)などの略語で呼ばれる巨大プラットフォーム企業の現状がそのような危険性をはらんでいることもまた確かだ。

ドイツの日本学研究者でメディア状況に詳しいマーティン・ロートは、柄谷行人の『世界史の構造』を引きながら、巨大プラットフォーム企業の台頭する世界はじつは近代世界ではなく、それ以前の帝国の段階にあるのではないかと指摘する。そして巨大プラットフォーム企業と私たちは、資本主義的企業と消費者という関係ではなく、帝国と臣民の関係に戻ってしまっているというのだ。

柄谷は同書で、商品交換を基礎とする資本主義社会を止揚し、アソシエーションに基づく協同組合的な世界共和国を構想しているのだが、事態は資本主義社会以前に戻っているというのだ。

この指摘は寸鉄人を刺していて、私は少なくとも今は反論できない。

臣民私たちは「臣民」になった Photo by Getty Images

ある検索エンジンが与えてくれた新鮮な体験

それでは収益をきちんと上げながら、誰もが納得でき、必要悪とは思わないメディア事業の運営のしかたはありうるのだろうか。

きわめてむずかしいが可能性はある。二つのヒントをあげておきたい。