GAFA帝国への抗い デジタル・プラットフォームの未来を問い直す

無茶ぶりエッセイ お題は「必要悪」!
水越 伸 プロフィール

私たちがfacebookを利用するとき、登録手続きをする必要はあるが、お金を支払う必要はない。僕がfacebookを利用しはじめてからかれこれ10年以上が経つが、一度もお金を払ったことはない。タダで使っている。そのあたりは民放に似た感じがする。

しかしもちろんタダではない。

facebookは、私たちがアップするさまざまな情報や利用履歴などをデータとして収集し、その他大勢の人々のものとともに先端技術によって解析し、広告主が望む消費者を抽出し、その人々に向けたパーソナライズド広告の機会と場を販売している。このことは利用規約をよく読めば書いてある。

誤解されがちだが、facebookは個人情報を広告主に売ってはいない。プラットフォーム企業の利用規約を子細に分析した勝野正博の言葉を借りれば、facebookは広告効果がある消費者と「広告主の希望するターゲットをマッチングさせて、そこに広告を表示する権利を販売している」ということになる。

私たちはfacebookで、友だちの近況を知り、自分のちょっとした自慢もし、ゲームを楽しみ、同級生とグループをつくり、親しい人とメッセージのやり取りをする。もはや生活に欠かせない、便利なコミュニケーションの道具だといわれる。

だが見方を変えるなら、私たちは頼まれもしないのに毎日せっせとコンテンツを生産し、関連する多様な個人情報をプラットフォーム企業にタダで提供しているのだ。さらにタイムラインに流れてくるモノやサービスを消費するよう仕向けられている。

デジタル労働、デジタル消費をさせられているのだ。

いずれにしてもfacebookの売り上げのほぼすべては、この広告ビジネスで得られたものだ。現在の大学教員はこの問題をどれくらい授業で論じているだろうか。広告論に留まらず、メディア論、文化論など生活全般に関わる重大なトピックであるにもかかわらず、あまり話題にされていないのではないだろうか。

facebookPhoto by Marc Schäfer on Unsplash

稼ぐことは必要悪か

民放局とプラットフォーム企業では技術条件や産業組織がちがい、同じく広告ビジネスで財源を確保して利益を上げているとはいえ、その仕組みもまったく異なっている。

そもそも前者はメディア企業だが、後者はメディア企業ではなくインフラ企業だという自己認識を持っている。ただいずれにおいても、お金を稼ぐことは重要であるにもかかわらず、そのことはどこか後ろめたさをはらみ、陽のあたる場所で議論されてこなかったことだけは共通している。

民放についてはもちろんだが、プラットフォーム企業も同様だろう。たとえばfacebookがどのようにお金を稼ぎ、運営されているかを多くの人が知ったのは、2018年初頭に英国のケンブリッジ・アナリティカというデータ分析会社がfacebookの5000万人分のユーザー情報を不正に取得し、流用する問題が起こった後だった。

facebookの収益システムはなんとなくおおっぴらにはされない、後ろ暗い必要悪だったのだ。