Photo by iStock

透析中止問題で明らかになった「コンフリクトマネジメント」の重要性

患者の心に潜む「インタレスト」とは

今月9日、「患者の意思を確認する書類が保存されていなかった」などとして、東京都から文書での改善指導も出た、公立福生病院での人工透析治療の中止問題。当初の報道をもとに、簡単に経緯を振り返る。

患者は44歳女性、少なくとも自宅に帰ることのできた患者である。シャント(腕に作る透析用の回路)の再造設が必要となった際、医師は透析を中止するという選択を示した。看護師同席の上、ご家族も含め複数回、意思を確認し、患者が透析中止を選択したため決定した。状態悪化後、患者は透析してほしいという意思を示したが、再開することはなく死に至った。問題が表面化、ご家族は納得できない感情を吐露している。

医療界を含め、概ね、世間一般では批判の声が上がっていた。その後、病院側は透析中止の選択を提示した事実はないと主張していた。

この問題は「コンフリクト」の問題

筆者はもともと医療にまつわるコンフリクトについて学んでおり、2014年に群馬大学病院の腹腔鏡下肝切除術の医療事故を指摘、3年半にわたりその後の対応を行った。その経験を踏まえ、この問題をコンフリクトマネジメントの視点から考えてみたい。

ここで言うコンフリクトとは、苦情・クレーム、紛争や対立といった表面化しているものから、不安、不満、葛藤といった、心の中に秘められている状態も含める。

Photo by iStock

医療に限らず、私たちが生活する中では時にコンフリクトを生じ、その都度、自身の葛藤を感じながら対応している。秘められた感情が大きくなると「怒り」という形で表出される。「怒りは二次的な感情」なのである。

医療は不確実であり、一つひとつの医療行為にはリスクがある。その程度は様々だが、医療者はリスクを説明し、患者は同意し、日々、医療行為が行われている。

それでも、結果が悪い場合にはコンフリクトを生じることがある。医療者には患者との信頼関係を築くような日頃の対応、胸に秘められた患者のコンフリクトに早く気づいて対応することが必要と伝えてきた。

 

今回、問題の表面化にあたり、患者家族からの強い不満が表出されている。当初の報道の多くは残された家族の感情であった。

医師は患者家族にどのように話したのか、説明は誰が聞いたのか、どう受け止めどう解釈したのか。医療者と患者側の間には、立場や情報量の違いがある。両者の間には解釈の齟齬、ずれが生じ、複雑な感情が絡んで時間とともに変化する。

これは医療者だけの問題ではない。医療を受ける、これからの高齢化社会の中で生きる一人ひとりが自分のこととして考えてほしいのである。

群馬大学病院の経験から

2014年に発覚した群馬大学病院の医療事故は、先進的な医療であった腹腔鏡下肝切除術後の死亡が続いていたというものである。ご遺族と表立ったコンフリクトを生じなかったため、院内で指摘し、自主的な調査を行うまで気づかれずにいた。

しかし、ご家族は納得されていたわけではなかった。調査開始後の聞き取りで、その思いは語られている。やむを得なかった、理解はいただいたと考えていた医療者側と、患者家族側の真の想いは大きく異なっていた。

医療の結果を問題とし、その医療のプロセスを検証する事故調査において、組織としての問題も多々指摘されたのである。

この経過を経て、病院の医療体制は大きく変わった。しかし、医療のリスクはゼロにはならないのである。不測の事態も起こりうる。医療事故調査において検証されるのは、リスクを可能な限り避けるためのプロセスが十分であったか否かである。

終末期を含めた倫理的問題も同様である。正解のない、より論議を生む問題かもしれない。その重大性に応じ、医療行為の決定に至るまでに十分なプロセスを経ているか否かが問題なのである。

当初、透析中止を提示したと報道されていた病院側は、後日、そのような事実はないと否定した。突然の報道で病院は混乱する。十分な検証を行えないままの記者会見での一語一語が、また第三者によって解釈され、新たなコンフリクトが生じる。

センセーショナルな報道に続いて様々な立場からの意見がみられるが、事実の詳細はしかるべき形で検証、評価されるであろう。