日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由

「警察行政のDNA」の影響とは
五野井 郁夫 プロフィール

もちろん条約難民として認定されれば、難民条約に基づき在留資格と公共サービスを利用できるが、不認定の場合には人道的配慮などによる一定の不十分な保護しか与えられないのが現状だ。

その結果、再申請のための在留資格は得ても、就労許可や国民健康保険などの公共サービスが受けられないケースも多くある。

日本語学習の機会は難民認定者を主な対象としており、申請者は日本語を学ぶ機会が制限されている。

場合によっては数ヶ月から数年かかる申請結果を待つ間、罹患時には医療費を自費負担し、そののち支援機関による払い戻しを待たなければならない。就労許可が下りなければ収入を得られず、医療へのアクセスは事実上絶たれてしまう。

 

これからどうすべきなのか

こうした難民ならびにその前段階の難民申請者の状態について、かつて国連難民高等弁務官事務所は「法的な幽霊」と表現した7

日本への申請者らは難民認定されるまで法的な裏打ちがなく人権を十分に享有できない宙吊りの状態にさらされるが、その「法的な幽霊」たちは他でもない生身の人間なのである。人間に対しては、われわれは同じ人間として、人道的に接しなければならない。

それすらできていないのが、いまの日本の現状だ。

たしかに我が国への難民申請者のなかには偽装難民がいるのは事実だろう。しかしながら難民審査参与員を長年担当した友人の元国家公安委員にどうやって認定しているのかを尋ねると、返ってきた答えは意外なものだった。

審査員経験者がいうには、正直なところ偽装難民かどうかを見分けることは極めて困難だというのである。というのも年間1万人単位の難民申請者一人ひとりの出身地で迫害を受けたかどうかなどを、きっちり現地まで赴いて精査することなど不可能だからだ。

間違って認定される申請者もいるだろう。けれども、間違って認定されなかった申請者はさらに数多くいることだろう。

カントが『永遠平和のために』で「訪問権」として記した外国人が自国民と同様に人として持つ諸権利、そしてかれらを歓待する義務がわれわれにはあるのだ8。このカントの思想はのちに世界人権宣言や難民条約において国際法として法典化した。

であるならば、世界人権宣言と難民条約を批准している我が国の地に足を踏み入れた者に対しては誰であれ、たとえ再申請中で在留許可が下りようと下りなかろうとに拘わらず、我が国の市民と同様の人道的扱いを直ちにせねばならないのである。

*7 UNHCR, The World's Stateless People: Questions and Answers (2006), p.5
*8 カント著、宇都宮芳明訳『永遠平和のために』岩波文庫、1985年、47頁