日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由

「警察行政のDNA」の影響とは
五野井 郁夫 プロフィール

社会的マイノリティであるがゆえ、ないしは政治的な迫害事件の結果として、常居所であったはずの国の外にいる無国籍者に対して、難民条約は開かれている。

この基底となっているのは、1948年に国連総会で承認された世界人権宣言である。

同宣言の第2条1項は「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」とあり、同項の原則が難民条約の前文でも改めて確認されている。

 

日本は難民にどう対峙してきたか

戦後の難民をめぐる我が国の難民受け入れ状況はどうだろうか。

過去には難民に対して大きく門戸を開いた時期があった。1970年代後半にアメリカの失策であったヴェトナム戦争終結にともない、ヴェトナム、ラオス、カンボジアのインドシナ三国から逃れた「ボート・ピープル」と呼ばれる人々を約1万1千人受け入れたことがある。

〔PHOTO〕iStock

だが、我が国は長年のあいだ1951年の難民条約にも未加盟で、政治難民もふくめて対応できていなかったこともあり、国際世論の非難の的となってきた。我が国が難民条約を批准したのは1981年になってからのことである。

その後2010年度からの3年間で、「第三国定住」プログラムを、アジアで初めて90名のミャンマー難民に対して行うようになった。これは、一時的に他国へに避難しているものの本国への帰還が難しく、第三国で定住することが唯一の安全かつ実行可能な解決策である場合に難民を受け入れるプログラムだ。

その結果、2010年には1202人だった難民申請数は、アラブの春と2015年の難民危機に関連して毎年前年度比で50%近く伸び、2017年には1万9629人(難民認定数は20人、難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた者が45人)にまで増加した4

続く2018年の申請者数は1万493人(そのうち難民としての認定数は42人、難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が40人)となった5

申請者数が減少した理由は、2018年1月以降、入管がその相当数が就労目的の「濫用・誤用的」な申請であるとして、申請者の在留や就労を制限するといった、申請数を抑制するための措置を強化したためである。

このように入管法上の難民認定手続きの姿勢は、ボート・ピープル受け入れ時に偽装難民がいたことからも受け入れに消極的なものとなっており、難民は保護するよりも管理するという姿勢のほうが強い6

さらに先述のとおり、歴史的な背景を持つ、行政組織の外国人差別的な体質が現在も温存されているため、残念ながら現在まで難民とそのステータスの申請者に対して、十分な法的保証を与えるものとなっていない。

*4 法務省入国管理局「平成29年における難民認定者数等について」、2018年3月23日。2019年3月27日閲覧
*5 法務省入国管理局「平成30年における難民認定者数等について」、2019年3月27日。2019年3月27日閲覧
*6 警察庁『平成2年警察白書 特集-外国人労働者の急増と警察の対応-』、 1990年、9頁