将門の死を弔う神田明神 PHOTO iStock

平将門がアプリゲーム、ニコ動に登場……いまも「兵」が愛される理由

将門関連傑作フィクションを一挙紹介!

もはや大河ドラマ、歴史小説にとどまらない。アプリゲームやニコ動に登場するなど、多くの人々から愛され続けている平将門。その魅力はどこにあるのか。先ごろ刊行された『平将門と天慶の乱』の著者・乃至政彦氏が、将門関連の傑作フィクションを紹介!

将門のビジュアルイメージ

新著『平将門と天慶の乱』では多くの参考文献をあげたが、そこで触れられなかった、将門関連の傑作フィクションを紹介したい。わたしは別にアカシックレコードにアクセスする力などなく、関連作品をすべて知っているわけでもないので、個人の趣味嗜好に偏ってしまう恐れがある。この点、ご海容くだされば幸いである。

作品紹介の前にある武者絵から見てもらおう。

国立国会図書館蔵

これを描いたのは、幕末から明治期まで19世紀に多数の名作を遺した月岡芳年だ。ここには今も受け継がれる将門ビジュアルの基礎が、ぎゅっと詰まっている。

まず、色鮮やかな大鎧──。将門の時代にこのような緋色縅の甲冑があったかどうか不明だが、芳年は限られた取材環境で「そうだったかもしれない」姿を見事に活写した。

もっともその名が「相模小次郎将門」となっているのは、時代考証以前のミスである。江戸時代の読み物では、将門を「相馬小次郎将門」の名前で記すものが多かった。芳年はこの「相馬」を「相模」と記憶違いしてしまったのだろう。

この絵で特に注目してほしいのは、将門の乱髪と虎髭である。

こうした視覚的特徴は、将門の定番イメージと言っていい。戦前の絵草紙や絵本でも将門のビジュアルは、この見た目でほぼ統一されているのだ(竹内永久編『将門軍記』:明治17年[1884]、内藤彦太郎『将門一代記』:明治20年[1887]、増田福太郎『相馬将門一代記』:明治21年[1888]など)。

なぜ乱髪・虎髭なのか

しかし、なぜ乱髪・虎髭が定着したのだろうか。その起源は江戸時代成立の『西国太平記』や『俵藤太物語』にあるようだ。

坂東八ヶ国を支配したばかりの将門を、藤原秀郷が訪ねたとき、「将門、折節髪を乱して梳りけるが、餘りの嬉しさに、取りも敢ず、大童白衣にて、周章て出合ひて、種々饗応す」有様だったと記されている。絵師たちがこのら「髪を乱して」と「大童」のテキストに基づいて、視覚化したことにより、その原像が固まっていったのだ。

『将門一代記』(尾関とよ編・国立国会図書館蔵)

ちなみに芳年の作品を見ると、将門は弓や剣ではなく、なぜか金砕棒(金鉄棒)を振り回している。しかし金砕棒は将門のトレードマークにならず、明治後期を過ぎると描かれてなくなっていく。

そもそも金砕棒は中世に、城攻めの破壊工具を、武器としても扱えるよう仕立て直した道具であった。城攻めが一般化するのは、武士が自分用の城郭を持ち始めてからだ。それは将門より500年以上もあとの15世紀半ばからのことである。すると、金砕棒は将門の時代にはそぐわない。これを感覚的に見抜く力が人々の目にあって、金砕棒の設定を淘汰させていったのだろう。