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# 財務省 # 政治政策

日本はあの時、「バブルの潰し方」を間違えたのかもしれない

財務省にとっての「平成」(1)
新元号「令和」が発表され、いよいよ平成もクライマックスに差し掛かった。そこで本コラム「ドクターZは知っている」では、3週にわたって、「財務省にとっての平成」を振り返っていきたい。

悪影響を与えた「平成の鬼平」

2001年に大蔵省から改称された「官庁の中の官庁」は、激動の時代をどう見てきたのか。

昭和から平成への改元となった'89年、日本はバブル景気に沸いていた。そのなかで大蔵省は重大ミッションを抱えていた。消費税の導入である。

消費税がバブルの崩壊を招いたという向きもあるが、それは違う。3%の消費税がスタートした'89年4月、数字の上では経済はまだまだ好調そのものだった。

1989年に任天堂が発売したゲームボーイは爆発的ヒットを記録した。写真はゲームボーイの開発者でスーパーマリオ、ドンキ―コングの生みの親であるゲームクリエーターの宮本茂氏(Photo by gettyimages)

そして大蔵省は消費税創設を前に、所得税減税や物品税の廃止を行った。これらの措置で消費税の負担は相殺され、経済への影響はほぼなかったと考えるのが筋だ。

バブルは、一般物価の上昇率が3%にも満たない一方で、株価と地価が異常に値上がりした。その主因は、法律のグレーゾーンを利用した銀行・証券会社の異常な経営姿勢である。それに対して、大蔵省は非常に厳しい姿勢で臨み、是正を進めた。この頃の大蔵省は、むしろマトモだったといえるだろう。

 

対照的に酷かったのは、金融引き締め政策を行った日銀である。現在、日本はインフレ目標2%を目指し、長期にわたって金融緩和を行っていることを考えてほしい。

バブル時代、地価や株価に対して物価上昇率はそれほど高くなかったのだから、金融引き締めはまったく必要なかったはずだ。

にもかかわらず、「バブル潰し」と称して、実体経済に悪影響を与える金融政策を行った男がいる。日銀の三重野康総裁だ。「平成の鬼平」とマスコミに持ち上げられた男は、バブル潰しを経て、「日銀官僚は間違わない」という無謬神話をより確固たるものにした。

そのため、バブル崩壊後も引き締め基調イコール正義である、という風潮が社会通念化した。これが、平成最後まで引きずることになった深刻なデフレの入り口である。

この結果、バブル崩壊後の'90年代前半から'00年代に差し掛かるまで、「失われた10年」と呼ばれる長い不況が日本経済を襲った。

1990年1月12日に秋篠宮文仁親王と文仁親王妃紀子さまの納采の儀が執り行われ、正式に婚約。6月29日に結婚の儀が行われた。翌年の1991年に眞子内親王が、1994年には、佳子内親王が誕生した。(Photo by gettyimages)

この期間、大蔵省は何をしていたのかといえば、バブル崩壊の後処理に追われ、日銀と共に経済政策を考えている余裕などとてもなかったのである。

日本長期信用銀行(長銀)や山一證券など、金融機関が立て続けに破綻したのは戦後初めてのことだった。

 

これらの救済のために大量の税金投入が不可避となったわけだが、結果として金融機関と大蔵省の癒着が進んでしまった。その最たる例が、'98年(平成10年)に発覚した「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」である。金融業界の崩壊にともなって、霞が関官僚も腐敗した象徴的な出来事といえるだろう。

ノーパンしゃぶしゃぶ事件は社会的な批判も大きかった。その結果、大蔵省の財政部門と金融部門が分離し、金融監督庁(現金融庁)が創設された。

大蔵省にとってこの出来事は、省が始まって以来の屈辱的な失態である。大蔵官僚は保身に走り、バブル崩壊後の経済は放置された。こうして鬱々たる「失われた10年」は作られていったのである。

次回につづく(4月21日に公開の予定です)

『週刊現代』2019年4月20日号より

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