私たちはなぜワクチンを怖がってしまうのか? 進化論的に考えたら

無茶ぶりエッセイ お題は「必要悪」!
佐倉 統 プロフィール

反ワクチンについて進化論的に考えてみる

さて、以上、リスクの心理的な評価の特徴と、その進化的背景をざっと説明した。これらは人間に進化的に備わっている性質だから、変えるのはなかなか難しい。また、危機的な状況になると理性的な判断を下す間もなく、緊急避難的に作動したりもする。

福島第一原発事故後の放射能汚染をめぐる混乱も、このような人間の心の進化的背景が関係していると思われるし、最近では反ワクチン運動もこの典型的な例だ。

反ワクチン運動はすでにヨーロッパやアメリカでは猛威をふるい、さまざまな問題を引き起こしている。イタリアでは麻疹が大流行して、2018年上半期だけで感染者が4万人を超え、死者も出たと言われている(→参考リンク)。麻疹流行はアメリカにも飛び火しているらしい(→参考リンク)

普通に考えて、ワクチンは感染症にかかることを防いでくれて、健康で幸せな人生を送るのを強力に助けてくれる存在のはずだ。自分の子供に予防接種をしなければ、麻疹にかかったり破傷風にかかったりして苦しむ確率が高くなるし、下手をすると死ぬかもしれない。

自分の子供が死ぬかもしれないのに、なぜワクチンがかくも嫌われるのか?

まず、ワクチン接種が義務づけられているということは、自分で自由にできる裁量が小さいことを意味する。すなわち、「押しつけられて」いるものであり、この点で心理的なリスク評価は大きくなる。

また、重篤な副反応の例があると、子供に予防接種を受けさせた親に恐怖感をもたらすだろう。必ずしも晩発性ではないが、副反応の後遺症が後々まで子供に残る可能性が少しでもあれば、これもリスクを大きく感じる要因となる。

この場合、それが本当にワクチン接種の副反応である必要はない。心理的にワクチン接種と結びつけることができれば、それで十分である。

また、ワクチン接種には未知の要素も含まれている。実際にワクチンそのものがどこまで未知の存在として人々に認識されているかは分かりかねるが、少なくとも普通の人間がその作用メカニズムを体感的に理解できる存在ではない(ぼくだって良く分からない)。

それに薬品であれば、まだしも目に見える形をしているが、ワクチン接種で作用する抗体は、目に見えない。これも警戒感を募らせる。

こう考えると、ワクチンは原子力発電所や放射能ほどではないにせよ、かなり心理的リスクを高く見積もられる存在であることがわかる。

つまりワクチン予防接種は、副反応などのリスクは過大に認知され、一方でメリットはほとんど感知されないという構造になっている。

ワクチンをうって効果があっても、接種した人も社会も今の状態と変わらない。変わらずに感染症がきわめて少ないことがワクチンの効果が発揮されているなによりの証拠なのだが、このことに心からの喜びと感謝の念を感じる人はほとんどいないだろう。

これは辛い。一生懸命仕事をしてうまくいってもまったく誉められず、ちょっとでもミスをするとひどく叱られるようなものだ。誰がこんな職場でちゃんと働こうと思うだろうか?

ワクチン接種も同じで、接種の効果が上がれば上がるほど、人々が接種しつづけるモチベーションは下がっていく一方なのである。そして少しでも有害な副反応、あるいはそれと思しき事象が見られれば、「これは危ない!」とぼくたちの心は過敏に擬陽性で反応するようにできている。

リスク社会とどう向き合うか

1986年、期せずしてチェルノブイリ原発事故と同じ年に、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは『リスク社会』(邦題は『危険社会』)を出版した。

豊かさを追求してきた近代社会が、今や豊かになればなるほどリスクを増加させるという再帰的状態に移行し、リスクへの対応が社会の最重要目的になっていく状況にあることを指摘した預言と警告の書である。

それから30数年。状況はますますベックの分析したとおりに推移している。ヨーロッパやアメリカでは遺伝子組み換え食品やナノテクノロジーなどを経て、人工知能(AI)による社会的リスクが声高に懸念されている。

日本では東日本大震災と福島原発事故を経験し、地震と放射能汚染リスクが日常の中に根深く組み込まれた。反ワクチン運動もじわじわと勢力を増している。

そして、ここで説明してきたように、リスク社会を根底で支えているのは、人間の心に奥深く刻み込まれている進化的な性質である。

この進化的な悪魔の囁きは根強いけれども、その影響を少し弱めることはできる。

最初にも書いたけど、ワタクシ現在、ダイエットが絶賛進行中である。意志の弱いぼくですらダイエットができるのだから、いろいろ工夫し、努力することで、リスク認知に対する進化的な制約を弱めることも可能なはずだ。甘い食べ物への好みをある程度コントロールできるように、ワクチンへの恐怖もある程度コントロールできるようになるはずだ。

ケーキPhoto by GIRLY DROP

問題はそれが「ある程度」に留まるところである。先の見通しは、決して明るくはない。

ぼくたちにとっての「必要悪」は、心理的な性質に盲腸のように残っている進化的な性質だろうか。それとも、ぼくたちの本来の心理にそぐわない現代社会の環境や技術なのだろうか。

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