# 介護

母から「冷たい息子」と呼ばれて、うつになった44歳男性の悲劇

父親を献身介護して看取った末に
太田 差惠子 プロフィール

朝はおむつ交換、帰宅後も介助…

カズヤさんの日々の役割は、朝、父親のおむつ交換をして、薬を飲ませること。朝は5種類の薬があるのですが、なかなか飲みこんでくれず母親は手を焼いていました。しかし、カズヤさんが介助すると比較的、素直に飲んでくれたのだとか。医師にお願いして服薬は日に2回にまとめてもらいました。夜は帰宅後に介助します。

「当時は、薬、薬って思っていました。仕事が終わると、『早く帰らなきゃ』と追われていました。実家に帰る前は、よく同僚と飲みに行きましたが、断ってばかりいると、だんだん誘われなくなります」

週末は電車に乗る気にもなれず、ほとんど外出せず。そうすると、1日中、父親の介助と母親のグチを聞かされ続けることに。

「自由が欲しかった。実家に戻ったのは『早まった』と後悔していました」とカズヤさんは言います。

 

そんな生活は2年ほど続きましたが、突然終わりを迎えました。

父親が食べていたものを喉に詰まらせ、救急車で病院に搬送。そのまま亡くなりました。

「父には申し訳ないけれど、亡くなった時、悲しみよりも、ほっとした気持ちでした。今だから言えますが、これで、元の生活に戻れる、と。父は徘徊したわけではないし、おむつも夜だけだったし、もっと大変な介護をされている方は大勢いるでしょう。それなのに、僕は薄情な息子です」

〔photo〕iStock

カズヤさんは、父親の死亡した翌月には、都内の元暮らしていた近所に賃貸マンションを見つけて実家を出ました。

母親の心細そうな表情には気づきましたが仕方ありません。しかし、それまで気丈だった母親ですが、父親の死の影響か、カズヤさんが居なくなったことの影響か、徐々に元気をなくしていきました。台所と茶の間は乱れ、「疲れた」が口癖に。介護保険の申請をしたところ、「要支援1」と認定されました。