2019.04.09
# アメリカ

2020年米大統領選の候補も危惧…世界を覆う「加速主義」的な現実

それは希望か、絶望か
木澤 佐登志 プロフィール

そもそも、加速主義とは一体どこから出てきた思想なのだろうか。この言葉自体は決して古くからあるものではない。その初出は、筆者が確認できた限りではイギリスの批評家ベンジャミン・ノイズが自身のブログ上で用いだした2008年頃にまで遡ることができる。

ノイズは、70年代に活躍したフランスの現代思想家――ジル・ドゥルーズやジャン=フランソワ・リオタールらに見られる、資本主義に対する唯一のラディカルな政治的応答は、抵抗することでも、批判することでもなく、むしろ資本主義のプロセスを徹底的に推し進めることである、とする考え方を批判するために「加速主義」という言葉を編み出したのだ。

〔PHOTO〕iStock

たとえば、1972年に出版された哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』の中には、ニーチェの「プロセスを加速させること」というフレーズを引きながら、資本主義の脱コード化(既存の固定化した規則や慣習などを解体する作用)のプロセスを徹底的に加速させることのみが未知の領野にアクセスできる唯一の方法である、と読み取れるセンテンスが登場する。

同様にリオタールの1974年の著書『リビドー経済』には、大都市の工場での地獄のような機械的労働を指しながら、しかし労働者たちは彼らの故郷や身体から疎外されることで、その狂乱的な解体をマゾヒスティックに「享楽」しているのだ、とする挑発的な議論が含まれている。

いざ、最悪の方へ…

こうした資本主義の脱コード化や疎外化の力を忌避するのではなく、むしろ徹底化した先にこそ革命の端緒を見つけるという考え方は、もとを辿ればマルクスにも見られるものだ。

たとえば、マルクスは「自由貿易問題についての演説」の中で、自由貿易制度は革命を促進させると述べている。自由貿易は古い民族性を解消し、貧富の差をさらに拡大させる。

しかし、このことはブルジョワジーとプロレタリアートの対立を極限まで推し進めることをも意味する。マルクスに従えば、自由貿易の破壊的な力はそのまま革命の狼煙になりうるのだ。

 

また、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で、資本主義を見習い魔法使いに喩えている。つまり、自分で力を生み出しておきながら、その力をコントロールすることができない。たとえば周期的におとずれる経済恐慌は、資本主義が自分の力をうまくコントロールできないことの証明に他ならない。

そして、マルクスをはじめとした左派思想家たちが革命のための「好機」を捉えるのもまたこの恐慌というタイミングなのだ。

であるのならば、もし資本主義が自身を溶解させる力をみずから生成するのだとしたら、必要となるのは資本主義それ自体をラディカライズさせることではないか。言い換えれば、悪くなればなるほど、良くなるのだ。いざ最悪の方へ……。

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