2019.04.08
# 政治・社会

平成と令和のあいだで…「象徴制やめますか? 続けますか?」

生前退位に込められた天皇からの問い
伊藤 智永 プロフィール

「象徴とは何か」、天皇からの問いかけ

翌朝、今度は新聞で「おことば」全文を何度も読み返してみた。私は、天皇が生前退位の表明により、超高齢化社会に直面して在位期間をどうするかにとどまらず、日本の社会と政治が翌年には70年になる象徴天皇制そのものをどうするつもりか、この機会に国家の根本に関わる重い問いかけをしたのだと受け止めた。

 

どういうことか。

11分を超える「おことば」には、「象徴」が8回、「務め」が7回、その類語として「在り方」「ありよう」「役割」「立場」「機能」といった言い換えが7回も出てくる。

退位の直接の理由として初めに「体力の面などから様々な制約を覚える」「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合」と語り起こしたので、「天皇も庶民と変わらず高齢化問題で悩むのは無理もない」と早合点し、単純に同情し共感しがちだが、それなら現行法の規定に沿って摂政を置けばいいという話で済んでしまう。

なぜ法律が想定していない退位でなければならないかを説く論理は、思った以上に複雑だ。

象徴天皇とは何か、現代日本において天皇はどのようにして象徴たり得るのか、そのために果たすべき務めは何か、どのようにしてそれは可能か、自分はどう考えてきたか、何を実践してきたか、あるべき象徴制はどうしたら続けていけるか、そのためになぜ摂政ではだめなのか、生前退位しかないのか。

こうした問題を、やさしい言葉づかいで、的確に、毅然と、それでいて居丈高に決めつけたり主張したりするのでなく、聞く者の心情や想像力を柔らかくふくらませながら説得するのは容易でない。

全体はあくまで表題通り「象徴としてのお務め」の難しくも望ましいあり方を述べることが主題であり、生前退位の意向はその論理的帰結にすぎない。

象徴制の「再定義」に向けて

象徴制が日本国憲法及び天皇と主権者国民との相互理解によって成り立っている以上、「象徴としてのお務め」のあり方をどう考えるかは、この国のかたちの来し方・行く末を考えることに他ならない。

かみ砕いて言えば「平成の象徴天皇制どうでしたか? 象徴天皇制このまま続けますか? それともこの際やめますか?」という問いかけである。

直ちにやめるわけではなくても、象徴天皇制は適切な「メンテナンス」を怠れば早晩「自然消滅」する可能性が現実にあるので、今のうちに現代と将来の日本にとって天皇制が必要か、必要だとしたらそれはなぜか、そのためには何をしなければならないか、を考えないなら「天皇制やめます」と選択するのと同じである。天皇制は不作為に漫然とあり続けるものではない。

譲位は、高齢化に伴う肉体的限界に直面してやむなく思い付かれた単なる「隠居宣言」ではない。一部保守派が勘違いしたような「弱音」や「わがまま」などでもない。

象徴制は天皇制を今後も続けていくための伝統に根ざした政治的・社会的・文化的戦略であり、譲位は象徴制を続けていくにはこれしかないと天皇自身が突き詰めた戦略である。

だとしたら譲位とは、敗戦時の象徴天皇制導入に続く、21世紀日本における天皇制再定義を問題提起したものと受け取るべきなのではないだろうか。こうして「平成の玉音放送」は、私にとって天皇制再考の起点となった。

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