大阪ダブル選に感じるモヤモヤの正体〜勇気ある行動か、横暴な決断か

代表者の役割とは何か?
早川 誠 プロフィール

クロス選挙は、制度が文言上許容する幅をいっぱいまで使って、「現在の大阪の政治をどう見ますか」「代表である私たちに異例の選挙実施の決断が望まれるほど、緊急を要する状況だと考えられないでしょうか」と、有権者のメタ政治観を問いかけているのだ。

普通の選挙としてのクロス選挙

したがって、クロス選挙が代表の決断として承認されるかどうかは、その決断を必要とするほど大阪の政治が追い詰められているかどうかについての有権者の判断にかかってくる。

それは、維新の側・維新を支持する側からすれば、古くからの問題とも言える大阪都構想の実現に関わる問題だということになるだろう(都構想の歴史的な位置付けについては、たとえば、砂原庸介著『大阪――大都市は国家を超えるか』中公新書、2012年、を参照)。

この構想が実現しなければ、通常の選挙を重ねることに意味がなくなってしまうほど事態は切迫している、ということだ。

都構想は維新の悲願だ〔PHOTO〕Gettyimages

他方で反対する側からは、都構想は異例の選挙を実施しなければならないほど緊急の課題なのか、異例の選挙をせずとも府市間調整は可能ではないか、制度に挑戦するための巨大な労力をたとえば福祉や教育にこそ注ぐべきではないか、といった論点が提示されることになる。

どちらを取るかは、まさに地方自治の問題としてその地の有権者が自身の体験から判断すべきことであり、またその地の有権者にしか判断できないことでもある。

この意味では、クロス選挙も、(幅いっぱいを使ってではあるが)代表民主制下でのごく普通の地方選挙にすぎない。有権者は対立する陣営の論点を比較し熟慮して、自身の住む地域の将来像を描く。

 

2018年末に公刊された善教将大著『維新支持の分析――ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣)は、維新への支持について、ポピュリスト的な大衆煽動に弄ばれる有権者という理解を批判し、「維新」という政党ラベルを「大阪」全体の利益の代表者として有権者が認識していると理解すべきだと主張する。

政党が持つ全体としてのイメージや姿勢をもとに、有権者は合理的に判断している、という見方である。

反論もあろうが、少なくとも有権者の維新支持に何かしら理由があるということを否定する必要はない。善教が批判するポピュリズム論においてさえ、左派ポピュリズムと呼ばれる潮流の中には、むしろこうした「政党ラベル」の機能を積極的に評価してもおかしくないような要素も見られる。

従来型の政党が、有権者に訴える戦略や目標の組み合わせを提示できなかった間隙を突いて右派のポピュリズムが台頭したのだから、左派においても政党が社会を理解する「言説的な枠組み」や「象徴的な指標」――政党を象徴するような政策イメージと言い換えてもいいかもしれない――を提示しなければならないというのである(シャンタル・ムフ著、山本圭・塩田潤訳『左派ポピュリズムのために』明石書店、2019年、79頁)。