出版界の救世主となったベストセラーと、大正デモクラシーの終焉

大衆は神である(45)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

関東大震災のルポ『大正大震災大火災』は超スピード編集で制作され、異例の20万部という大部数で刊行された。結果、飛ぶように売れたこの本が、震災の影響で金策に窮していた出版界を救うことなった。

第五章 少年たちの王国──出版界の革命⑶

まさに飛ぶように売れた

『大正大震災大火災』は10月1日に売り出された。

元取次5社のひとつ、至誠堂の店員だった藤井誠治郎(のちに大東館取締役)によると、至誠堂の店主は清治から「今度の本は必ず売れる」と言われ、発奮したらしい。発売までに、震災で焼けた本石町の本店を早く建て直さなければならないというので昼夜兼行でバラックをこしらえた。

 

発売当日、『大正大震災大火災』は焼け残った至誠堂の第二分店(本郷)にトラックで届いた。知らせを受けた藤井は大八車を引っぱって本郷に行き、車いっぱいに積んで本店へ向かった。汗だくでお茶の水の橋にさしかかったところ、ばったり栗田書店の主人・栗田確也に会った。

栗田は「本の目利き」として業界で知られた男である。

栗田は車を見て「これは何だ」と聞いた。藤井が「講談社の『大震災』が出たので、本店に持っていくところだ」と答えると、栗田はビックリして「どれ、ちょっと見せてくれ」と、手にとって見ていたが、「わしもこうしてはいられない」と、急いで行ってしまった。

藤井は車を本石町まで引っぱって帰った。本店前はかなり人通りが多かったので「ここでひとつ売ってみよう」と思いつき、店の前に戸板で屋台をこしらえて本を並べた。すると、そばからそばから売れる。

そのうち取引先の本屋が続々ときて「私のほうは二十もらう」「私のほうは十もらう」と現金払いで持って行くので、「これは本当に売れるわい」と思っていると、さっき持っていった本屋がまた「もう売り切れたから、あと三十ください」と言ってきた。

至誠堂では「これじゃとても足りないから、あとすぐ注文しろ」と、講談社に追加を頼むことになり、まったく面白いほど売れたという。

野間さんは業界の救世主だ……

『大正大震災大火災』の初版20万部はすぐ売り切れた。講談社は追っかけで10万部を増刷したが、それでも間に合わず、さらに5万部の増刷を2回重ね、計40万部を発行した。

大野孫平によると、当時の出版界は震災後のモラトリアム(支払い猶予令)で銀行の支払いが止まったため、金策に窮していた。ところが、『大正大震災大火災』が売れたので、取次に金が集まり、出版社も取次から支払いを受けられるようになった。

中央公論社社長の麻田駒之助は東京堂にやってきて「講談社で『大震災』を出してくれたおかげで、書店も活気づいたし、取次の方も支払いを大変なめらかにやってくれるんで、われわれも安心して雑誌の仕事ができるようになった。野間さんは業界の救世主だ」と語ったという。