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メーカー勤務サラリーマンが、医学部再受験で開業医まで上り詰めた話

こんな生き方もあるんです

昨年、文部科学省の局長が息子を東京医科大学に裏口入学させた汚職事件に始まり、医学部受験は、かつてないほど揺れに揺れた。

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昭和大学、神戸大学、岩手医科大学、金沢医科大学、福岡大学、順天堂大学、北里大学、日本大学、聖マリアンナ医科大学の10もの医学部が、女性や多浪性に対して、不当な得点調整をしていたことが明るみになった。

その後、初めての入試となった2019年の大学受験は、表面的には大過なく終わった。どの大学ももちろん、明らかな不正操作はできなかったはずだ。そして今や新年度の入学シーズンだ。

 

「人の役に立ちたい」と思いなおして…

ところで、医学部の学生の中には、高校や浪人からの受験生だけでなく、社会に出てから医者を目指し、合格した「大人の受験生」もいる。彼らは、「再受験生」と呼ばれ、多くの医大・医学部に、一定の割合で入学している。

「若い頃は医者になりたかった」、「あの頃、医師を目指していれば今頃…」等々、内心で、「医師」という仕事に憧れを抱いている人は、読者の中にも多いかもしれない。

大人になってから、本気で医師を目指した人の人生は、その後どうなるのか。覚悟を持ってキャリアチェンジに臨んだその勇気は、報われたのだろうか。

やや昔の話になるが、1980年台、一般企業に就職後、20代後半で医学部に入学し、医師になった人の体験談を紹介しようと思う。

今年1月、東京・世田谷区で内科・心療内科のクリニックを開業している北岡正雄院長にインタビューを実施した。北岡医師は、「再受験」で医学部に入学し、医師として地域医療に貢献している。

北岡さんは関西で生まれ育ち、最初、東北大学の理学部物理学科に進学した。当時は、数学や物理といった確実な世界しか信じない科学者気質で、自分の興味関心の赴くままに進路を選んだという。

大学時代は、社会正義や思想世界にも興味を持ち、当時の流行思想であったマルクス主義や実存主義などにも影響を受けたそうだ。

就職は、理学部の経歴を活かし、関西にある一部上場の化学メーカーに勤めることになった。技術系の職種だったので、一般消費者から遠い存在であることの疎外感を感じつつも、充実した多忙な日々を送っていた。そんな入社5年目の夏に、ふと、人生を考える機会が訪れる。

「このままでいいのだろうか?」「直接、なにか人のためになるような仕事をしたい…」

あるとき、とくに理由もなく、突然、ハッキリとした答えが出てきたという。「私は医師になりたい」と。

家族や親戚など、近くに医師がいたわけでもなく、医療への強い興味があったわけでもない。とにかく、医師になりたい、そして、絶対に医師になるんだ、という気持ちがふつふつと湧き上がってきた。

そして、一気呵成に、医師を目指す準備を始めた。

その化学メーカーは良くも悪くも家族的で、すまいは独身寮での共同生活であった。毎日を共にする同僚たちには相談もせずに、医学部受験を決めた。その後、周りの同僚たちに目標を公言すると、だれも取りあってもくれなかった。

「なんて変なことを言うやつなんだ」と言われたし「やめておいたほうが良い、いまさら医学部になんか受かりっこない」とも言われた。しかし、不思議なことに、それでも医師を目指す気持ちは全くゆるぎなかった。

北岡医師は、当時の選択を振り返り、「志望の理由にも合理的なものはなかったし、とくに根拠もなく、とにかく医師になるのがベストだと思いこんでいたに過ぎない」と言う。

職業選択のきっかけなんて、そんなもので十分なのだろう。面接やエッセイでキレイ事を並び立てて医学部に合格しても、良い医師になる人もいれば、悪い医師になる人もいるのが事実だ。