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昭和に学び、令和に期す……昭和史研究の第一人者が自著に託す思い

歴史を教訓化するために
「昭和史は人間が経験する歴史のすべてが詰まっている」。のべ4000人以上の元軍人やその関係者に取材を重ねてきた昭和史研究の第一人者・保阪正康氏が昨年刊行した『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)が累計17万部を突破し、幅広い世代に読まれている。

このたび、シリーズ第2弾となる『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)が4月10日(水)に発売された。

元号がまもなく平成から令和に変わろうとしているなか、私たちは「昭和」という時代から何を学ぶべきなのか?

「知られていないということは、教訓化されていないということである」と保阪氏は言う。新作に懸ける思いとは。

戦争の現実を知らない指導者への懸念

昭和という時代を動かした人物は、どのようなタイプが多いのか。あるいはどういう性格が目立つか。私は史実を検証する時に常にそのような関心を持ってきた。

戦後の日本社会は、私の見るところ戦争の傷跡をいかに乗り越えるかが鍵であった。この傷跡には、単に外傷をどのように治していくかという以外に、心理的な葛藤や社会的病といった形の症状もいくつか現れていた。

たとえば、戦後の特徴の一つは戦争に対する徹底した反対の意識である。これ自体は悪いことではない。ただその反対という立場も、よく聞いていると、昭和十九年の終わりころから始まったBー29による本土爆撃に端を発していることがわかる。

明治からの近代日本の百五十年余の歴史の中で、日本は何度か戦争を推進してきたが、実は日本人は戦争がどれほど残酷で、かつ非人間的な所業であるかということを知らないできたのである。

このことは意外と根深く、日本人の戦争観を一面的にしている。庶民が戦争を知らないだけでなく、政治的指導者、軍事的指導者もまた戦争を知らなかったのではないかと思う。

東京の軍官僚が頭の中で考えていた戦争だからこそ、平気で特攻作戦や玉砕戦術をとったのであろう。私は昭和前期の指導者を取材して、その点がもっとも不快であり、不信感を持った。

日本の指導者に対する私の疑念は、戦争の現実を知らないという初歩的な段階への怒りであった。

エピソードが明らかにする歴史の素顔

昭和五十年前後から、昭和史の解明を自分自身に課して多くの人たちに会ってきた。そういう中でいくつものエピソードを聞いてきた。そういうエピソードはある意味では本質に迫る意味を持った。

たとえば昭和十六年十月に、近衛文麿首相は戦争政策を強力に迫る東條英機陸相に抗するのをやめて、辞職してしまう。

なぜ近衛は土壇場で逃げたのか。むろん近衛の性格上の弱さがあった。しかしそれだけではなかった。秘書だった細川護貞の証言によれば、当時、近衛は痔疾で悩んでいたそうだ。この激痛に悩まされていたのが、辞任の一因であるとの証言は、私には興味深かった。

このほか、石原莞爾は青年期に小刀が下腹部に刺さるといった事故にあっているが、それが老いるに伴い、しばしば石原を苦しめたと、やはり秘書役だった高木清寿が語っていた。

こういうケースは当事者周辺を取材することによって、初めてわかることであった。

歴史の中で、権力に触れている者がいかに恣意的に権力を濫用するかということは、東條英機を見ているとよくわかる。東條は戦時指導者として自らに抗する者を徴用して戦地への派遣などを日常的に行い、そして反対派を黙らせた。

そういう話を聞くたびに、権力は麻薬だとの感がしてくる。権力を自己本位に用いた側はやがてその権力に見事なまでに復讐される運命にあると私には思える。