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# メディア

「副業できないから」会社を辞めた、とある新聞記者の話に思うこと

これでは新聞の未来は…

外で書けない新聞記者

またひとり、後輩のジャーナリストが会社を辞めた。50歳前後で実績もあり、働き盛りで、それなりの給与を得ていたにもかかわらず、組織ジャーナリズムを「卒業」したという。

ささやかな壮行会で理由を聞いた。

会社には一身上の都合という決まり文句で辞表を出したが、本当は「本を書きたい」からだという。本を書きたいのなら新聞社にいた方が出版が容易ではないか、過去にたくさんの先輩ジャーナリストが自分の新聞社から本を出しているではないかと聞いたところ、最近は事情が違うらしい。

まず、本を書くのは「社業」という扱いに変わったのだという。

昔は別の会社の雑誌に寄稿したり、本を書いたりするのは「余業」、いわばアルバイトとして扱われ、原稿料や印税は記者が当然のように自分の副収入としていた。今はやりの「副業」を実質的に黙認してきた会社が多かった。自分の新聞社の出版部門から本を出さずに、わざわざ文芸系出版社から毎回出していた著名新聞記者も存在していた。

新聞社内には、そうした「他流試合」をむしろ奨励する雰囲気もあった。新聞では書けない話を週刊誌や業界誌に書くことで、記者の教育に役立つと考えていたのだろう。

 

筆者も入社5年目で東京本社勤務となった時、部長に呼び出された。

「君はなかなかの手練れだそうじゃないか。この雑誌のコラムの仕事を譲るから毎月書いてあげてくれ」

といきなりアルバイトを指示された。

分かりましたと引き受けて戻ろうとすると、その部長氏は付け加えた。

「おお、外の原稿の締め切りは絶対守れよ。信用を失ったら二度と仕事は来ないぞ。君の信用じゃない、うちの新聞の信用だからな」

これも教育の一環かと思ったものだが、後々判明したのは、くだんのコラムは原稿料の安さから部長氏が手離したくて仕方がなかったものだった。若手編集委員に「ええ、押し付けられたのか」と大笑いされた。

まあ、新聞社の全盛期。おおらかな時代だったと言えるだろうが、そんな自由な雰囲気の中で記者は着実に育っていった。

特定の業界に精通して業界紙からの仕事が増え、本業の新聞社より高い収入を得ていると豪語していた先輩記者がゴロゴロいた。ベストセラーを書いて家を建てた、という伝説の大記者もいた。

それがここ10年でまったく変わったのだという。

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